2002年5月8日水曜日

ポカラ到着

 朝6時頃ポカラに到着。5年前と同じく今回も到着と同時にホテルの客引きがバスに乗り込んでくる。しかし今回外国人ツーリストは俺の他に白人カップル一組だけで、しかも俺も彼らもまともに客引きを相手してあげない。バスの外に出ると客引き連中に囲まれる。どこに泊まる? ダムサイド。俺のホテル、ダムサイドにあるんだけどどうだ、車あるぜ。歩くと遠いぜ。じゃあその車でダムサイドまで行ってから違うゲストハウス選んでもいいか? 黙り込む。と、横にいた別のおっさんが、俺はタクシー、70ルピーとのこと。そっちの方が気楽だからそうしようとすると、ホテルの客引きの男が俺の車も宿とは関係なくタクシーだ、60だと言い出す。タクシー男にディスカウントはないか? と問うが70のまま。ホテル男が俺の車で送るとしつこいが、しかしやはりそれに乗ってしまえばこいつのホテルに連れて行かれるのは目に見えてるのでタクシーを選ぶ。するとホテルの客引きったら俺も同乗していいか? などと助手席のドアを開ける。しつこい。もうほんとに駄目。
 タクシー出発。しかしこのタクシーも本当にホテルの客引きではないという保証は別にないのである。なんてこと考えてたらすぐにダムサイドに到着。どのホテルにする? その質問をするということはもしかしてこのおっさんも実はどっかのホテルの客引きなのかしら? ほら、ここが○○ホテル、あそこが○○ホテルだ、どこにしようか? なんだ、希望のところまで連れてってくれるのか。じゃあちょっと待って、ガイドブック出すから。で、地図と照らし合わせると大体どのあたりか判明したので降りて適当なホテルを探すことに。前に来たときに泊まったニューフレンドリーゲストハウスを基点に歩けばすぐに方向もわかるだろうと思ったら、見覚えのある雑貨屋があって見覚えのあるおばちゃんが店を開けている。覚えてる? なんて聞くと覚えてるよと返事される。そりゃ嘘だろうけどまあいいや。しかしそのニューフレンドリーゲストハウス自体はありません。潰れたのかな? でもだいたいの位置はわかったので、その並びにあった以前来たときにここもよさそうだなあと思った宿へ。が、そう思ってた宿もない。物凄く入れ替わりが激しいのだろうか。わずか数年で相当にガイドブックの地図に書かれてるホテルと異なります。
 で、結局その並びにあるそれなりにでかそうなホテルビューポイントへ。値段は一泊180とのこと。できれば山が見える部屋が良く、さらに10日ほど泊まるからディスカウントして、というと、山が見える部屋はもっと高いんだけど10日ってことで180までとのこと。それで了解。オーナーは日本語が結構喋れるので日本語でやりとり。どうしてこのホテルを知りましたか? とのことなので、歩いてみつけた、前に来たホテルが消えてたしなんてこと言うと、前はどこに泊まったのかと問われるのでニューフレンドリーだと答える。いつ? 5年前。5年前にニューフレンドリー? そのとき僕そこのオーナーだったよ。ゴータマといいます。ああそういえば。奥さんとお子さん元気? 元気です。二人ともまだ寝てます。ニューフレンドリーはクローズしてここに移りました。まあ偶然ねえ奇遇ねえ。てことでここに宿泊決定。
 で、とりあえず洗顔してからジャーマンベーカリーで朝食。その後散歩にでも行こうかと思ったが、やはり深夜バスでの移動で疲れて眠いので戻ってシャワー浴びて一眠り。午後に起きて外へ。少し南に引っ越したアニールモモで生姜焼き定食。それからレイクサイド方面へ歩き、途中でオレンジシェイク。さらに歩くが腹痛に襲われ宿へ戻ってトイレ。すっきり。で、違うルートでレイクサイドへ。だんだん暗くなってくる。味のシルクロードで麻婆茄子定食。置いてある本をだらだらと読み、9時になったので出る。
 帰り道、レイクサイドからダムサイドへはオフシーズンてこともあってか人気が物凄く少なく店もどんどん閉まっていくため非常に暗い。場所によっては真っ暗。バラナシの夜よりも恐いかも。何とか宿に帰り着くと門が閉まっている。しかし微妙な隙間があったのでそこから中へ入ると、今度は建物自体の玄関が閉まっている。幸いオーナーの部屋は電気がついていたのでそっちの窓側にまわって呼んで開けてもらい、中へ。ポカラの夜は異常なまでに暗いということが判明しました。まあネパール第二の街とはいえ田舎だしな。

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