2002年5月7日火曜日

バラナシ発

 午前2時半頃起床。荷物を整理し、3時過ぎにまだ寝てる門番を起こして外へ。ちなみに宿代の支払い等チェックアウト作業は昨晩のうちにしてある。で、まだ街灯(オレンジ色のいかにも夜道ですといわんばかりのもの)しかついてない暗い道を歩いて広い通りに出てリキシャを拾おうとするが、途中で寝てる野犬どもが目を覚まして吠え立てられ、それに反応した近所の野犬が続々と吠えはじめて行く手を阻む。仕方なく犬から逃げて深夜の路地裏を歩くことに。だからといってそこに犬がいないとは限らずそれどころか危険人物がひそんでる可能性だってあるわけだが幸いそんなことはなく無事通りへ抜けられる。さらに運のいいことにオートリキシャのおっさんが起きていてこちらにすぐに気付く。しかし深夜のせいか50ルピー。選択の余地も交渉の余地も無し。
 深夜のバスステーションに到着。バス待ちでそこらで寝てる人たち多数。すでにバスステーション自体は動いており、深夜だというのにやたら活気にあふれている。で、窓口でスノウリに行きたいと申し出ると中から係員が出てきてバスまで案内してくれる。乗り込むとまだ人数は少なく、この程度なら椅子はともかくまあ楽そうだと思ってたら発車時刻の4時に近づくにつれてどんどこ人が増え、しかし荷物は棚の上に入らない大きさなので座席下に押し込んで席をつめる。でもって4時過ぎにようやく出発。しかしこんな早朝からすごい人数である。途中下車するつもりなのか、通路に立ってる人も多数。料金はスノウリまで135ルピー。しかし150出すと釣りは後で返すとのこと。結局ゴーラクプルについた昼過ぎにしつこく釣り返せと言ってようやく戻ってくる。あの調子だと俺が言わなかったら払わなかったに違いない。で、少し時間戻ってバス発車後、それなりにいい感じの揺れのために眠くなる。朝7時だか8時頃目覚めた頃にはすでに田舎。
 途中ところどころで休憩を挟みつつ、スノウリに着いたのは午後4時半頃で結局12時間かかった。どう考えてもミニマムで6時間なんてことはありえないでしょう。途中、確かゴーラクプルのあたりでやたらと「新品」ぽい敷地と建物をみつけ、新品ぽいもののほとんど見あたらないインドで珍しいなあと思ってたらアムウェイだったということがありました。こんなところまで進出してるとは。でもってインドの人って偏見だけどアムウェイ的商法にものすごく簡単にはまりそうな気がして心配。
 スノウリに着いて国境越え。インド側イミグレで、スタンプ押したらもうこのビザではインドに戻れないよと念押しされるがそんなことはとっくにわかってるし非常におしっこしたかったので早くしろと急かす。ネパール側のイミグレでもおしっこ我慢して入国カード書き、ホテルと旅行代理店の並ぶ地域へ。すると一人のネパール人がこのあとどうするのかと話しかけてくる。ポカラへ行くんだよと答えると、じゃあナイトバスがあるよ、ここで予約できるよと言い、ホテルを指さす。朝からほとんどまともに食事せず(休憩時間はあるけどどれくらい停車なのか説明ないしあっても現地語で理解できないので落ちついて食ってられなかった)休憩もしたかったのでレストランもあるここで一度落ちつくことにして、まずトイレへ。すまして座席へ戻ると彼がポカラ行きのバスチケットを用意して待っている。しかし先日のインド側での二重払いが記憶に新しい僕としてはいまいちその手際の良さが信用できず、この前インド側でこんなことがあったのだが今回のこれはこれだけでいいんだろうなと確認。するとその手口はその店の人間のふりしてる奴がやってるんだが、俺はこのホテルで働いてるんだよほらと社員証のようなものを見せられる。いくらでも偽造できそうなレベルのものではあるが、そのホテル内で周囲に従業員もいるところで見せられたし疑ってもきりがないので一応信じる。チケット代を支払おうと思うがインドルピーしかないのでついでに両替。まったく誤魔化されずきちんと受け取る。ネパールって素敵。
 で、エッグカレー食べてバス代食事代払ってバスに乗り込む。夕方6時半発。一応ツーリストバスとのことだったが、バラナシ→ポカラは一般的に外国人はスノウリで一泊するのがパターンのためか、外国人ツーリストはほとんどおらず大半が現地の人たち(共産ゲリラのために観光客が激減てこともあるだろうけど)。動き始めてすぐに眠くなる。途中食事休憩があったが、先ほどカレー食べたばっかりだし寝て起きてすぐではまともに食べられず、簡単にゆで卵程度。夜中に検問で起こされ、ぼんやりしながら外へ出ようとすると途中で外国人だとわかったようでお前はいいと座席に戻される。先に気付いて欲しい。熟睡してたし。深夜のネパール側でのバスは風がかなり寒く、ときたまそのため目が覚めたりを繰り返しつつバスは進む。

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