2002年4月30日火曜日

バラナシ

 朝になってやっと街が動き出し、目の前の開いてる食堂で飯。この後7時半頃にインド側でバスに乗るために、ネパール側の旅行代理店で手配してもらうことになっていたのだが、しかしその旅行代理店だけがシャッター開かず。どうも周囲の人間の話では我々の乗るはずのインド側のバスがクラッシュして動かないとか。だからといってこういう国のためか他のバスに振替という発想はないらしく、こちらがそれを提案するほどの語学力もなく、別のバスを予約せよとのこと。バラナシまでのバス代払ってるのに。仕方なくおじさんと一緒にバスを予約し、国境を越えてそのバスを出してるという旅行代理店へ。そこからぼろいバスへ連れて行かれて乗り込むと、またチケット代を要求される。さっき国境で払ったぞこらなどと二人で抵抗するものの、その相手のインド人が数名つるんでおり見るからに暴力的であるために二人で相談して結局支払う。大変不快ではあるが暴力には屈するし、日本円で考えれば大した額ではないのでまあ早速インドだなということで二人とも納得。おんぼろバスも発車。しかし、あまりにもおんぼろ過ぎて、ちょっと進んでは止めてメンテナンスというのを何度も繰り返し、とにかくちいとも進まない。結局そのうちに後ろからやってきた別のバスを運転手が止め、乗客は全員そのバスに移ることに。またバス代請求されるかもと思ったがそれはありませんでした。しかしその乗り換えたのはツーリスト用ではなくローカルバスだったため、バラナシまでの長距離だったにもかかわらず頻繁に現地の人たちが乗り降りを繰り返す。しかも立ったままの人も多数。で、まあなんとかバラナシに夜8時到着。
 おじさんともう一人、途中で加わった日本人の若者20歳と3人でサイクルリキシャに乗ってゴドウリヤー交差点へ。そこでおじさんはプシュカルゲストハウスへ行くというので我々2人で送って、若者はシヴァガンガーゲストハウスへ、俺はハリチャンドラガートのHOTEL SONMONYへ。かなり歩くが繁華街なので夜でもまだ安心。やや暗いけど。で、チェックインしてから飯食って風呂(シャワー付の部屋でした)。そんなハードな一日であった。

2002年4月29日月曜日

スノウリ

 朝、医者へ。例の狂犬病関連です。注射。で、旅行中各地の病院をまわってまたカトマンズに帰ってくるんだから、そしたらまたここに来て報告せよと言われる。怪我の包帯は5/2にとって、以後は塗り薬を使用せよとのこと。

 宿に戻り、夕方の出発までまだ時間があるので昼寝しておきたいと思い、従業員に本日分の部屋代払うといって夕方までの使用許可をもらう。しかしあまり眠れず、結局昼過ぎに起きて食事。ネットやら散歩やらして宿に戻り、ちょっと早かったがチェックアウトしてフロントで待つ。一緒にバラナシへ向かうおじさんもチェックアウトしてフロントにいたのでお話。

 時間がきたので二人でバスステーションへ。といってもバスステーションというか単なる広場にツーリストバスが来る。なんとバスの乗客は我々を含めて4人。結構でかいバスなのに。で、動き出すが、さすがネパール、山国なのでものすごいうねうねした道を行くため、気持ち悪くなることこの上なし。すいてたおかげで通路はふさぐが4人分の座席を使って足を伸ばして横になれて良かった。そんなこんなで途中食事休憩を挟んで、午前2時に国境の町スノウリに到着。そのまま深夜だけど国境を越えてインド側に入国するものかと思いきや、どうやらそんなことはなくて午前4時までバスの中で足止め。

2002年4月28日日曜日

警官嫌い

gen1971gen2002-04-27  
 今日もまだ移動できないのでボダナートへ。午前11時半頃宿を出て歩く。遠い。タメルを出てしまうと予想外に現地の人はこちらに興味を示さない。ツーリストエリアの場合は客商売で声をかけてくるから当然だが、外国人のいないところってかえってじろじろ見られることが多いと思ったのだが。まあ割と外国人は多く通る場所で、しかし商売相手ではないから興味ないとかその程度なのかもしれないけどね。相変わらずストライキ中のためか、半分くらいの店はシャッターを下ろしたまま。街中では要所要所に軍人が銃を構えて立っている。でもそんなに物騒な雰囲気でもないが。
 書き忘れていたが、昨日ラーニー・ポカリの前あたりで日本語学んでるというネパール人と話してたら、とにかく今軍人がいっぱいいるのはストライキのためだけじゃなくて、マオイストによるゲリラ警戒のためで、俺は共産主義を憎むと言っていた。日本で周囲に共産党支持の友人知人を多く持つ俺としてはとりあえず適当に聞き流すしかない。テロはいかんけど共産主義自体はどうかとかいった議論するほど詳しくないし彼が日本語学んでるとはいってもやはり言葉の壁はあるし。とにかくそれで軍人が街に溢れてると。実際には日本でもかなり報道されていたようなのだが、知りませんでした。もっと国際面とかきちんと読みましょうね俺。せめて自分が旅行する国のことくらいはね。恥ずかしい。
 お話戻ってボダナートへ。遠くからどかーんとでっかく見えるのかと思ってたらそんなことはなく、街並みがだんだんツーリスト向けになってきたらその中にいきなり入り口があり、本体は街並みの裏側に隠れていたのであった。下手すると見逃すよこれ。で、とにかくでかい。まず周囲をまわってみる。巡礼らしき人も結構いてやっぱり周囲をぐるぐる。それから本体への階段をのぼってみる。しかしいわゆる目玉のすぐ側まではのぼれないのでちょっと欲求不満です。ひととおり見てから、まわりにたくさんある観光客目当てのレストランの一軒に入って食事。
 食事しながらエド・マクベイン『警官嫌い』(ハヤカワミステリ文庫)読了。87分署シリーズ第1作ですね。古い小説のせいか物凄くシンプル。一本の小説としては、いかにもミステリー的なものだけで作られているために物足りなさもあるが、シリーズ第1作であることを考慮すればこれでいいのではないか。ていうか1時間のテレビドラマシリーズの1話みたい。実際にテレビドラマ版が作られていた可能性もあるが。しかしだとしたら初回から仲間が死にすぎすけど。まあ機会があれば以降のシリーズも読んでもいいかも。問題は第2作がどれなのかわからないということだ。せめて解説には発行時点での既発売作品タイトルくらいつけていただきたいものです。
 食べて出て、帰路を行く。途中パシュパティナートへ通じる道があったので今度はそちらへ。しかしここはヒンドゥー教徒しか入れない。仕方ないので外から眺めようとしていたら、入り口手前左側に上り階段があったので上がっていくとだだっぴろい広場があり人々がのんびりくつろいでいる。そっからパシュパティナート内部がちらっと覗け、さらに見ると反対側の丘の上から眺めてる人々がいるのが見える。てことはあちらにまわりこめば中が見えるのかも。丘を降りて一度道に出て、また登っていくとさっき見えた公園に入る。そこを歩いていくとさっきの裏山へ。寺の裏の火葬場が丸見え。じろじろと眺めて、さきほどの寺入り口の脇の方に出るとちょっと日本語話せるガイドが俺が今通ってきたところはこのパシュパティナートの小さいコピーでそこならヒンドゥー教徒じゃなくても見られる、パシュパティナートはネパール最大のヒンドゥー寺院であると教えてくれる。ありがとう。
 近くの露天でペプシを飲んで一休みし、再び歩いてタメルへ。戻ると午後5時。大変時間がかかりました。で、宿で明日一緒にバラナシへ向かうというおじさんを紹介されてしばらく話す。かなり話好きで善人て感じ。こういう人なら大歓迎です。本日はそんなくらい。

2002年4月27日土曜日

病み上がり

 ほとんど眠れないまま朝になり、病院で朝食のかわりにビスケットとオレンジジュース。薬もらって、あとなぜかマネージャーが趣味としている外国人患者の写真撮影につきあわされ(アルバムも見せられた)宿へ戻る。今後も特定の日ごとに各地の病院で注射を受けなければならなくなってしまった。

 宿で睡眠をとろうとするがまたしてもほとんど眠れず。疲ればっかり出ます。仕方ないので昼過ぎに起きてメシ。すると店に入った途端に土砂降り。そのため身動きがとれず、レストランでしばらく過ごす。その間他に客は来ず。しばらくして小降りになったので宿へ戻る。あとは雨止んでからぶらぶらして過ごす。

2002年4月26日金曜日

犬に噛まれる

gen1971gen2002-04-25 
 カトマンズ二日目。ストライキ中なのは相変わらずなのでぶらぶら。昨日よりはシャッター開けてる店は多い。スワヤンブナートまで歩く。一応地図を頭に入れて、道行く人々に聞きながら片道1時間近くかかって到着。門から階段を上っていくと異常な数の土産物屋で、適当にあしらいながら進むと物凄く急な階段が出現。かなりきつい。ぜいぜいいいながらのぼると、あと数段でゴールというところで切符売り場があり、50ルピー。ここまで来て高いといって降りるのも馬鹿らしいので払って入場。通称モンキー・テンプルというだけあって猿はそれなりにいるが、犬も猫もいる。いわゆるネパール的な目ん玉のついた塔やマニ車。敷地が結構広いので時間をかけて歩く。ぱっぱか見ても時間を持て余すだけだし。猿に近づいた白人観光客が腕にかみつかれて大騒ぎしていた。しばらくのんびりしてからまた急な階段を下りて、やや異なる道を通ってタメルへ戻る。

 途中子供たちに囲まれ、各国の首都を当てるからクイズを出せと言う。日本は? トーキョー。ネパールは? カトマンズ。 アメリカは? ワシントンDC。などなど。でもしつこいしこっちはちっとも面白いわけではないので疲れたからとか言って別れる。宿に戻って、まだ数日先ではあるけどバラナシ行きのバス予約できるというので頼んでおく。

 タメルから南方面をぶらぶら。途中ちょっとした広場でくつろいでると現地の子供がザ・ロックのTシャツを着ていたので「ロックだね」とか声をかけると、その他のガキも群がってきて、何やらガムの包み紙みたいな小さな紙に印刷されたWWFスターのコレクションを見せられる。これがロック、これがアンダーテイカー、これがスティーブ・オースティン、などなど。中にはロックのマイクパフォーマンスを真似する子供も出る始末。しかし英語はわかってないようで「スメル」の「ル」でやたら巻き舌になってる部分だけのモノマネである。カトマンズではWWFが人気なんだなあということを理解する。

 ダルバール広場へ。そっからまた歩いて、街をぐるりと反時計まわりにまわって戻る。途中狭い道に山車みたいなのが出ていてすげえ人が群がってたのだが、ややツーリストエリアからはずれたせいか英語を誰も解さず、これが一体なんのためにあるのかといったことはさっぱりわからなかった。宿へ一度戻り、ちょっとしてからまた外へ。ぶらぶらしてたら犬が沢山いて、中にはしっぽふって寄ってくるのもいる。なでると喜ぶので調子に乗って次々となでまわしていたところ、そのうちの一匹に突然左手を噛まれて血がぼたぼたとたれる。急いで宿へ戻り、手を洗ってからフロントに相談。するとそりゃ大変だよとのことで医者へ連れて行ってくれるという。でもって着いていくとなんかいきなり薬局に行くのね。恐いから薬局じゃなくて病院に行ってくれと言って、かなり歩いて病院へ。とりあえず消毒して包帯巻いて注射。ちょっと検査するから待てといわれ、フロントマンは先に帰って一人で待ってると君は狂犬病だから入院だと言われてしまう(帰国後にわかるが実際に陽性だったわけではなく、可能性があったからとりあえず入院てことだったらしい)。てことで一泊入院。ドクターもナースもマネージャーもいい感じでテレビもありメシも出るが、ベッドがやけに固く蚊が耳元を飛び回りほとんど眠れず。蚊を避けるために毛布を肩までかぶってたために顔をさされた。

2002年4月25日木曜日

カトマンズ

gen1971gen2002-04-24
 朝7時頃ドアがノックされる。朝食とのこと。料金はすでに込みとのことなので1階のレストランへ同室の男と向かう。するとこいつによれば、昨晩も12時頃にノックされて夕飯だったんですよね、一人で行ってきましたよ。などと言う。12時といえば俺が寝た直後である。さっぱり覚えてないところからして多分眠っちゃってたんだろうが、しかし普通一声かけるだろう。ほんと駄目ね。腹減ってたわけじゃないからまあいいけどさ。つまりは自分から他人に声かけるという行為がとにかくできない人ってことではないかと判断。そのくせ思い返してみると、昨日空港で機内で、とにかくこいつは俺に話しかけないながらもちらちらとこっちを見てたのである。気付いてるということは俺もこいつを見ていたのではないかと思われる方のために言い訳しておくが、俺はああ日本人が一人いるなと思っただけであとはほったらかしてたんだけど、とにかく視線を感じることが何度もあったのである。つまりとにかく他人が気になるタイプであろうと思ったのだが、そのくせ自分から一切働きかけないのはどうしたことか。同室になりやっとちらちら見るということから開放されたのに、にもかかわらず食事ですよと一声かけられないのはどうしたことか。ああ不愉快。住所交換とかしないでよかったよ。しかしまあ腹が立つのは今この日記書いて思い出してるからで、このときはやっぱり不快ではあったけどどっちかというと呆れちゃっていたような気がします。それに僕も気が小さいのでここで怒ってもめごととかにしたくないし。でもってあまりおいしくない朝食(トーストと紅茶)を摂って、出発までホテルのロビーで待つ。同じルートのネパール人ビジネスマンと話してたら、今ネパールはストライキ中だという。
 時間が来て空港へ。ダッカからカトマンズへ飛ぶ。空港を出るとほんとにストライキ。まともに空港に乗り入れてる交通機関がなく、街までは白タクとかなんだかうさんくさいバスとかばっかり。で、俺はカトマンズ空港利用は初めてだったので、同室だったつまんない男がどうやら何度も来てるような発言してたからまかせてみたところ、やたらと各車の運転手に翻弄されて全然決められず、あげくのはてに俺に向かって「お好きなタクシー選んでくださっていいですよ」などという。なのでさっさと決めて、タメル地区までシェア。降りてさっさと別れる。せいせいしました。もっと早めに別れればいいだろうという意見もあるだろうけど、流れもあってなかなかそうもいかないのよ。人が多ければ人混みに紛れるという手もあるけど人少ないし。
 ストライキ中であるためもあって、空港からタメルまでとにかく銃を構えた軍人が多数おり、大半の店はシャッターを下ろしたままであった。実際に軍人が多いのは共産ゲリラ警戒のためってこともあとでわかったのだが。ニュースはきちんと見ておきましょう。で、宿探し。しばらく歩いてホリーランドゲストハウスというところに決定。しかしここは日本人宿だった。今回日本人宿は避けたかったのだが、決めちゃったからまあいいや。それに明日か明後日にはバラナシに移動するつもりだしね。と思ってたら、日本語の話せるフロントマンによれば、ストライキのため一般交通機関があと数日動かないからカトマンズから移動は飛行機以外無理だよとのこと。カトマンズに数日足止め決定です。仕方ない。街をぶらぶらして食事したりとかして本日はおしまい。

2002年4月24日水曜日

ダッカ

 10時頃起きて11時頃チェックアウト。旅行代理店に行き荷物をあずけ、朝食を採るためにMOM'S GUEST HOUSEのあった場所にあるこぎれいな食堂へ。一昨年行ったときはすでにゲストハウス経営はしておらず、しかし同じおばちゃん(これがマムなのかは結局確認せず)が食堂を経営していたのだが、とうとうそれもなくなり内外ともに完全リニューアルされていた。が、何もかも新しくなっていたわけではなく、以前ここで働いていた女性陣の一人、最もリーダーっぽかったねえちゃんがここでもリーダーっぽく働いていた。事情は一切聞かなかったけど。むこうはこっちを覚えてないだろうし。

 食後にまだまだフライトまで時間があったので本日はパンティーププラザへ。場所はうろ覚えだったのだが、確かあそこだと見当をつけて昨日と同じく47番のバスに乗り、マーブンクロンセンターで降りてかなり歩いて辿りつく。道順は記憶通りだったが距離は記憶の数倍。バンコクの気温と湿気とあいまって大変疲れます。中へ。サパーレックが徐々に電脳から撤退しつつある状況とは異なり、こちらは相変わらず。予想していたとおりエミュレーター+ロムイメージのCDロムが多数あるが、いまいちどの機種用のものなのかとかがわからん。多分ウインドウズだろうけど。まあ今日買うわけではなくあくまで視察だからいいでしょう(しつこいようだけど買ったら違法です。買ってません。でもこの時点では買おうと思ってた)。

 その後伊勢丹ZENデパート方面からまわってマーブンクロンセンター方面へ出て再びバス。しかし47番のバスの前に来た15番に乗る。確かカオサン近くをこの番号のバスも走ってたと思ったから。だから問題なかろうと思ってたら47番と明らかに異なるルートを走る。これは結局乗り換えかと思ったら、結局別ルートでカオサン方面へ出る。腹も減ったので昨日と同じイサーン料理屋台へ行くとおっさんがやってきてこれから開店準備だとのこと。時計をさして15分後に戻ってこいと言われる。なのでバンランプーをぶらぶら。近くにあるニューワールドデパートへ入ると、前々から相当さびれてたがそれはいっそう進んだようで1階以外営業していない。2階はトイレのためだけにいけるようになっている様子。壊して別のことに土地を役立てた方がずっといいのではないか。客もほとんどいないし。戻って食事。

 旅行代理店へ。エアポートバスに乗り込んで空港へ。チェックイン後時間があったのでバーガーキングへ。イミグレーションとゲートをくぐり飛行機に乗り込む。2時間くらいでバングラデシュのダッカ到着。トランジットで一泊は初めてだったのだが、他にもそういう旅行者が結構いたので安心。みんなでミニバスに乗ってホテルへ。車窓からの風景はやたらと排気ガスのひどいインド。1時間くらいでホテルに到着。一人だったために少し待たされ、他に一人で来てた日本人男性と相部屋に。しかしこいつがなあ、なんだか物凄くつまらないタイプの人なのである。どうやらバンコクに部屋を借りて住んでおり、そういう海外慣れ(というかアジア慣れ)した自分のスタイルが多分好きなタイプ。で、そういう「慣れ」を表現する方法として、旅行中に周囲に存在するいろんな出来事に対して興味をまるで持ってないかのように振る舞うのである。ああ、それはもう知ってるから……、とか、ああ、そういうのもありますね……、とか、そんなタイプ。例えば中学生くらいの年齢で男女混合グループで遊園地に行ったりするとするでしょ。ああいうところはある程度自分から積極的に楽しめば楽しい場所であると思うのだが、しかしたいてい中学生くらいで行くとなると休日なので遊園地は混雑してますね。なのでアトラクションに並ぶわけだけど、並んでる時間に対して「なげえよ」とか「ああつまらないなあ」とか場がもたなくて口にしちゃったり、アトラクションに対しても「子供っぽいよな」とかわざわざ発言することで場の空気をつまらない方向へのみ導くような人っていたでしょ。ああいうタイプですね。例えばそういう同じような意味の突っ込みでもそれ自体に工夫があって楽しませるというふうにはなってないんですね。遊園地や旅行といったイベントだからといって過剰になんでも感激しちゃう人というのもあれだが、このような、反応することの照れくささの反動からつまらないという態度をとっちゃうことでほんとにつまらなくしてしまうようなタイプの方が嫌だなあと改めて気付かされた次第。具体的にどのような会話等でそう判断したのかは記してもそのあまりのつまらなさに書く方もわざわざ読んでくれる方も単につまらないだけなので書きません。そんな気力ないよ。だもんで実際この時もろくに会話する気にならず俺はさっさとシャワー浴びて寝た。

2002年4月23日火曜日

違法

 9時半頃起床。朝からタイ料理はきついので宿の食堂でハムエッグを注文すると、実に貧相な感じのするハムと目玉焼き、それにほんのちょっぴりの野菜。まあカオサンではこんなもんだったか。それとスプライト。昨日は7UPを頼んだらスプライトが瓶で出てきたのだが、直接スプライトを頼んだ今日は缶で出てきた。まあこんなもんだったか。

両替して旅行代理店へ行き、バンコク〜カトマンズ往復航空券を購入。11750バーツ。まあ相場でしょう。たまにガイドブックに書かれてる金額と異なるといって文句をたれる輩がおりますが、ガイドブックの取材はそれが出版される以前にされたものであり、物価というものは常に変化するものであるということを考慮にいれましょうね。で、その航空券なのだが、ビーマン・バングラデシュ航空だったために往路復路ともにダッカで一泊トランジットが付いてきた。ホテル代なんかも込みなのでまあいいか。ビザもいらないし。その分旅行期間は短くなるわけだが未知の国へ行くということでちょっと嬉しい。その後ネパールのビザ用写真を撮影。4枚受け取るが、実際に必要なのは1枚だけ。

宿の食堂でまたスプライト飲みながら一休みして、店のねえちゃんにホアランポーン駅へのバス番号を聞いたところ、一人は15番、もう一人は42番と答える。そして互いに相手のは間違いだと言い張るのでまあ両方という可能性もあるからいいやと判断して歩き始めると、ちょっとしてから42番のねえちゃんが走って追いかけてきて正確にはやっぱり42番だと教えてくれる。親切なのか、単に自分の主張が正しいと念押しなのかわからないけど礼を言ってバス停へ。だが、いつまでたっても42番はやってこない。というかたまには来るのだが、どうもここでは停まらないのか、数車線あるうちの最も歩道から離れた中央寄りをすいすいと行ってしまう。違うんじゃないのか。で、一応しばらく待ちながら他のバスを眺めていると47番ってのがやたらとやってくる。そして何かこの番号に見覚えがあったような気になってきたので、まあ間違ってても逆方向の同じ番号のに乗ればいいかと思って乗り込む。そしたら案の定ホアランポーン駅行きではなく間違っていたのだが、代わりにマーブンクロンセンターの前にさしかかったのでそこで降りて中へ。本当は駅から歩いての道を漠然と覚えてるサパーレックというゲームソフトがやたらと売ってるところへ行きたかったのだが、ここマーブンクロンセンターでもやや高いとはいえそういう店が大量に入っていたのでとりあえず視察ということでそれらが入っていた5階へ。しかし、一昨年までは5階の半分近くを占拠していたゲーム屋がほとんどない。そしてやっと見つけても肝心のプレステソフトはなく、置いてあるのはゲームボーイ用のものばかり。どうなっているのか。そして5階の大半は携帯電話屋となっており、どうやらバンコクの電脳トレンドはゲームから携帯へシフトしてしまったようである。これ以外にマーブンクロンには用事はないので、今度こそサパーレック方面へ。しかしバスはわからないので勘に任せて歩く。途中まったくタイ語以外通じなさそうな店で食事。実際金額以外は英語ではなかった。それからまた歩いてそろそろ近いだろうと思われるところで警官二人に場所を確認してようやく場所を突き止める。しかしサパーレックって確かブラックマーケットなのによく教えてくれるよね。いい加減よね。が、ここもマーブンクロンほどではないけどかなりの率でゲーム屋が減っている。しかも残ってる店も大半はゲームボーイ用ソフトばっかり。でも奥へ行ったらプレステ用もまだありました。良かった。が、今回欲しい『ドラクエ4』『桃鉄』が必ずみつかるとは限らない。まあとりあえずまだそれなりにあるということは確認できたので良しとする。帰国前に買いあさりに来よう。ただしどうも多くの店は現物をその場に置いておらずパッケージのみで、もしかしたらこれ注文してその晩に焼き込み翌日受け取りというパターンかも。となると帰りはバンコクでの時間がほとんどないので早い受け取りできる店を選ばないとならないかもね(こういうものは日本に持ち込むのは当然として、買うだけでも違法です。真似しないように。そして後日またバンコクに戻ったところをみていただければわかると思うが、結局買ってません。ほんとだよ)。

一度カオサンへ戻る。するとまたやたらと疲れており、ベッドでちょっと休む。1時間ばかり休んで少し楽になり、少し近場を散歩してからイサーン料理屋台で食事。近くで水を買うと、明らかにその店の従業員ではなく客である西洋人がすごく下手な日本語で対応。いくらかと問うと「ファイブバーツ、じゅう、じゅう」どっちだよ。結局5バーツ。じゅうはテンだと教えてあげる。宿に戻って一休み。夜になって宿下食堂で冷たいものを飲み、それからカオサンの裏側を散歩。この辺りは表通りよりもあきらかに飲屋街といった感じで、そうなると酒が飲めず基本的に一人旅になる俺にはあまり居心地のいい場所ではない。誰かと一緒ならいいのかしら? で、宿に戻ってシャワー。暑いから水シャワーしか出なくても何ら問題はないはずなのだが、なんだか水を浴びるとかなり冷たく感じる。そして出ると悪寒。体調不良? 風邪? バンコク大気ひどいから体調崩した可能性もある。とりあえずまたちょっとだけ腹が減ったので下に降りてフライドポテトと水。でもってやっぱり体調がそんなによくないので寝る。

2002年4月22日月曜日

バンコク

 朝6時起床。出かける準備して、日暮里経由で京成線で成田空港へ。まだゴールデンウィーク前だからなのか、日曜なのにそんなに混雑した感じはしない。それともテロの影響か。チェックイン後、空港内で食事。といってもどれも高いので、結局マクドナルド。毎回そうなってしまうような気がする。それからイミグレーションを通ってゲートへ。ボディチェックがいままでより厳しくなっており、全身を軽くではあるがなでまわされる。基本的にくすぐったがりなので一瞬体に力が入り、そのためかえって疑われてしまうのではないかという不安が頭をよぎるが全然そんなことはなかった。飛行機はエア・インディアのバンコク経由デリー行き。俺はバンコクまで。朝早かったので機内に乗り込んだ途端に眠くなり、飛行機が動き始めた辺りでうとうとしてしまう。ふと目を覚まして腕時計をみるとそれからもう1時間ほどが経過しておりもう地表は見えないのかなと窓の外を見るとまだ離陸せずに滑走路をあっちこっち走り回っている状態。その直後に離陸。確認してからまた寝る。フライト中、食事以外の半分くらいの時間は寝てすごす。

 バンコクに到着して飛行機を降りる際、デリーへと向かう人たちはそのまま機内に残るのだが、前方の座席に座っていたデリーへと向かうであろうカップルの女性が『週刊文春』唯一のエロコーナー「淑女の雑誌から」を食い入るように熱心に読んでいるのを目視確認。飛行機を出ると途端に暑い。しかもなんだか予想以上。入国手続きをすませ、空港を出てエアポートバス乗り場へ。いつもは空港を出て右側の、本来のバス停より手前のところで乗り込めてらくちんという裏技があったのだが、今回はそこに他の車が多数停車しておりそれは無理。仕方なく本来のバス停へと移動して乗り込む。成田では旅行者が少なく感じたのだが、このバス内にはなんだかバックパッカーがいつもより多い感じ。

 1時間ほどでカオサンへ。しかし以前乗った時とどうも停車場所が違うような気がする。以前は民主記念塔側からカオサン脇を通ってバンランプーあたりで下車だったのだが、今回は民主記念塔側を通らずにカオサンとワットチャナソンクラムの間の辺りに出た。まあどっちでもいいんだけど、おかげですぐ近くに来るまでわからんかった。

 NAT GUEST HOUSEへ。以前ここで働いていた小柄でぶさいくだけど愛嬌はある女の子はいなくなっていた。チェックイン後、サンダルを買ってゲストハウスの食堂でカレー。飲み物は7UPを頼んだのだがなんのためらいもなくスプライトが出てきました。まあいつものことか。横の席にはアジア旅行だからこそのいかにもな薄汚いファッションに身を包んだ日本人男子4名が集まってタイ各地での女買いに関する体験談。例えばお店で女の子を自分の足の上に座らせると両手で乳を揉めるが、それだと重くて足がつらい。かといって横に座らせると乳揉めるのが片手だけになってしまうので、結局左右両側に女の子を座らせるのがいいよねえ、そうですねえ。旅の恥はかきすてタイプですね。私は別に売春反対派ではないです。

 食後に近所をぶらぶら。王宮前広場の方へ行ってみると物凄く現地の人たちが多くいるのでさらに近づくと何やらイベントをやっている。ステージが組まれてそこにあるスクリーンには国王と思しき人物が映し出されて演説してたり、大量の花火が上がったり、民族衣装らしきものに身を包んだ女の子たちがステージ上で踊ったり、見た目は全然花がないおっさんが民謡みたいなの歌ったり。で、人混みの中で一人のジュース売りにこれは何の祭かと問うたところ「木曜日までやって終わりだ」という返答を得る。質問の回答になっていないのでしつこく聞くとどうやら「チャロンクルンラタナコーシン」であるらしいと判明。御礼にペプシを買う。ぬるい。そして言葉の壁のため「チャロンクルンラタナコーシン」が何なのかはわからず。ついでにこうして日記を書いてるときも調べず。と書いたあとちょっとだけ検索したけどひっかからず。知ってる人は教えて下さい。そのうちぬるいペプシでもおごります。その後宿に戻ってシャワー浴びて寝る。本日は早朝起床だったせいかかなり疲れた。