2018年4月23日月曜日

新ブログ

 新ブログを立ち上げました。当ブログの過去ログは先日まとめて非公開にしてしまいましたが、気が向いたもののみ公開に切り替える場合があります。

2002年5月23日木曜日

帰国

gen1971gen2002-05-22    
 機内でなんとか少し眠ったのだが、飛行機というものはどういう時間帯のフライトであろうと必ず何かしら食事を出すのは義務づけられているものなのか、この飛行機は朝8時頃成田到着だったためか6時頃、まだあんまり眠ってない時間に叩き起こされて食事。しかし朝っぱからなんだか油っぽいオムレツなんかは食えるはずもなく、フルーツだけ食べる。本当はヨーグルトも食べようとしたのだが、これが甘みの全くないほんとのプレーンヨーグルトで、しかもなんだか濃くてまるでおいしくないチーズのような味であった。結局ろくに食えないもののために睡眠時間1?2時間程度で起きることとなってしまったのであった。そして飛行機はその後すぐに成田着。検疫で狂犬病の注射できる病院情報を得て空港を出る。
   
 京成線の駅で『週刊文春』5/23号購入、帰りの電車で読みながら帰る。ここでアジアから帰って来ると東京はなんてどうたらこうたらと書くといかにもアジア帰りの旅人のようであるかもしれないが、そういうことを書くような人間だったら成田出てすぐに『週刊文春』なんて買って最近の情勢を見ようなどと思わないはずなのでそういうことはここでは期待しないでくださいね。
 
 最寄り駅へ着き、腹が減ったので松屋で牛飯。

 帰宅後荷物整理したり、旅行中に来ていた郵便物整理したり。『旅行人』5月号が到着。外へ出て駅前書店と駅書店で『TV Bros.』5/25→6/7号(東京ニュース通信社)、『SFマガジン』『ミステリマガジン』ともに6月号(ともに早川書房)、『ユリイカ』5月号(青土社)、文藝別冊『ゴダール』『澁澤龍彦』(ともに河出書房新社)、『COMIC BOX』6月号(ふゅーじょんぷろだくと)、『映画秘宝』vol.31(洋泉社)、『Cut』6月号(ロッキング・オン)購入。買いすぎ。そうこうするうちに夜が更ける。

2002年5月22日水曜日

デジタルコピー品

 旅行最終日。正午がチェックアウトだったので、その後荷物を置かせてもらってサパーレックへ再び出向く。行く途中カオサンの端っこでNMさんとばったり。挨拶してまた歩く。が、ようやくサパーレックへたどり着くと、なんとこの前カトマンズへ向かう前に確認のために寄ったときとは大きく異なり、まるで昨日の夕方というほどではないにしろかなりの店がシャッターを下ろし、開けてる店もプレステ本体を置き、また改造してる店も堂々とありながらもなぜかソフトはゲームボーイのものばかり。なので目に付いた店に順々にプレステソフトはないのかと問うとただただ皆ないというばかり。ない理由はみんなアイドントノウとのこと。単に英語が駄目なのかもしれないけど。俺も含めて。しかし根気よく聞いてまわった結果、どうやら現在警察によるここサパーレックの取り締まりが強化されているということが判明。なぜならここはブラックマーケットでプレステソフトも著作権侵害にあたるコピー品だから。といってもこの警察の取り締まり強化は永続的なものではなく、ここ数週間だけだろうとおっさんは言う。てことはつまり俺のタイミングが滅茶苦茶悪かったってことなのね。警察も気まぐれでこんなタイミングでやらないで欲しいわ。

 ケンタッキーで一休みしてパンティーププラザへ。でもってしかしパソコン用ソフトはほとんどウインドウズ用でしかも英語版だったりしていらないし、映画のDVDも結構あるけどどうせ画質悪いだろうし第一DVDといいながら実体はVCDだったりしそうなので単にひやかして外へ。カオサンにそろそろ戻ろうかなあと思ってたら土砂降り。仕方なくシャッター降りてる店の軒下で雨宿り。ある程度小降りになってきたところでトゥクトゥクでカオサンへ。ちょっと小腹が空いたので路上イサーン屋台で食ってネットやったりして時間つぶし、7時頃に宿へ。9時に空港へのバス(実際にはバン)がピックアップしにくるのでそれまでジュース飲みながら時間をつぶさせてもらう。途中この宿に数日滞在してるという日本人が話しかけてくるが、自分から話しかけてきたわりにはだるいだるいとばかり言っていてあまり会話にならず、結局彼はいたたまれなくなって自分の部屋に帰っていくのであった。

 ようやく9時を少しすぎてからバスが迎えに来たので空港へ。バスの隣りに座ってた日本人カップルは二人とも左上腕部に刺青がありました。しかしいくら道が空いてるからといってあまりにも速度を出し過ぎなのではないか。軽いショックがあったら確実に思い切り横転してしまうくらいには速度が出てました。でも無事空港に到着、時間ぴったりですぐにチェックインし、上階のバーガーキングで時間つぶし、でもってボーディングタイムが近づいたのでイミグレーションを通る。残金がまだちょっとあったので免税店の商品をみたところ、なんでここはこんなに高いの。結局小さなチョコレートを買ってタイバーツをほぼ使い切る。そしてエア・インディアの出るゲートへ。するとやはりテロの影響か、やたらめったら荷物チェックが厳しい。まず手前でX線による荷物チェックで、今まで気にとめられたことのないカッターを預けることに。預かり証を渡され、成田で受け取れとのこと。でもってゲート内では今度は鞄を開けられ、内部まで調べられる。彼らの荷物検査の仕方はかなりいい加減で、検査することでこちらが動揺することがあれば要チェックという程度のものらしく、鞄をあけるんだけどじゃあ荷物を全部出して一つ一つ念入りに確認てことはしない。もちろんそれでこちらはいいんだけど、しかしあれじゃあ結局何か持ち込むことはかなり簡単に出来ちゃうよ。そして機内へ。出発は深夜1時近くとなり、飛び立ってすぐに機内のライトは消されてお休み時間となる。しかしもちろんデリケートな俺としてはなかなか眠れません。やっとうとうとしてきて、半分夢の中で飛行機が墜落するとわかったときの乗客の心境ってどんなもんなのかなあとか思った瞬間に飛行機が乱気流に突入し、今の思考と寝ぼけとがあいまってこれで終わりかなどと一瞬思ったりしてしまった。

2002年5月21日火曜日

バンコク

 朝5時頃目覚める。本当は6時頃起きる予定だったが、トイレ行ってたらNMさんも起きたのでそのまま準備。朝飯は前回と同じようなメニューでトーストとバナナとゆで卵。空港へ。本日は2時間ちょいのフライト。NMさんと隣の席だったので殆ど会話してるうちにバンコクへ。バンコクはどうやら天気がそんなによろしくない様子。雨期か? 明日の晩発つからそんなに気にならんが。

 エアポートバスA2でカオサンへ。さすがに本日の宿では一人になりたかったところ、NMさんはカオサンでも民主記念塔寄りの一角、つまり正確にはカオサンではない辺りに常宿があるとのことだったので、ワットチャナソンクラム方面へ行くつもりの俺とは離れることに。NMさんの行く方面はややカオサンより手前なので彼は途中でバスを降りる。ここでお別れ。俺もその後すぐに降りることになると思ってたらバスは物凄い迂回してそれから10分くらいしてようやくカオサンの反対側へ。そこで降りる。どっちにしてもワットチャナソンクラムとは離れてしまうのだが。で、寺敷地内を通って周辺の宿を探す。結局あんまりよろしくない感じのうすぐらーい宿(名前もわからん)となる。今更だが最終日なんだしもう少しこぎれいな高いところでも良かったかなーと思うけどいいや。もう手遅れだし。

 で、荷物置いてからこの前もちょくちょく行った路上イサーン料理。おっさんは俺のことを覚えていてくれたようで、メニューがなかったんだけどいつもの肉(バーベキューといってた)ともち米が出てくる。それ食ってからバーツ残金に余裕がなかったので両替して、スクンビット通りのエアインディアオフィスへ。リコンファームしてからパンティーププラザへ。ぶらぶらしてると日本人てことでやたらと日本のアダルトビデオをコピーしたVCDを薦められたりする。しかしアダルトビデオだと言い張ってるくせにジャケットはヌードにもなってない井川遥だったりして信用おけません。その後サパーレックへ移動するが、その時点で午後6時を過ぎておりほとんど店じまいしてたので戻る。あとは夜までそこらの屋台で飯食ったりして過ごす。

2002年5月20日月曜日

リコンファーム

 本当はカトマンズへ戻ったらまた犬に噛まれた件で医者に他の地域での治療報告をするよう約束させられていたのだが、スケジュール的には治療そのものの日ではないし何しろ昨日のことがあってゆっくり寝たかったので約束破りました。で、ゆっくり起きてYAさんと朝食。それからタメル一周してカジノ2軒まわって(まわるだけで遊んでないが)ちょうど時間なので宿に戻ってチェックアウト。タクシーを拾いYAさんに手を振られながら一人空港へ向かう。
 少し時間が早かったので待ちながら同じ飛行機(ポカラ→ダッカ)に乗るという日本人のおっさん、NMさんと会話。どうやら他にこの飛行機に乗る日本人はいないらしく、おそらくはこの人とダッカで一緒の部屋になるんだろうと思ったが、はっきりいってこの人見た目は完全に昔のヒッピーくずれ。年齢も49歳とのことでばっちりですね。1980年から旅行してきたというし。ひげをのばしたりしてて、俺が今回接触しようと思いつつ果たせなかったというか果たしたくなかった自己陶酔型「旅人」(旅行者では決してなく)の親分のようなタイプの人であるが、しかしそういうスタイルに溺れる若者と違ってそれなりのポリシーでやってるせいかやな感じではなく安心。といいつつ失礼な記述してるとは思うが。
 チェックインカウンターが開いたので二人でボーディングパスを受け取ろうとするとどうもうまくいかない。何かと思ってるとリコンファームはしたかと問われる。してなかった。チケット買うとき何も言われなかったこともあり(バンコクから来る時はリコンファーム必要なかったし)、怪しいとは思いつつも忘れていたのである。そしたらリコンファームは必要でしかし今ここでリコンファームはすることはできないという。どうしよう。と思ったらとりあえずカウンターの横で待てとのこと。NMさんによれば多分空席が最終的にあればなんとかなるだろうとのこと。それを期待して他の乗客がチェックインしてる間待つ。しかし本日は行きの時とは異なり異常なまでに乗客が多く心配。が、心配は危惧に終わり乗れることになった。良かったー。今後はチケット買うときには何も言われなかったらリコンファーム必要か確認しましょう。しかしこんなトラブル続きで俺は本当に旅行人元社員なんだろうか疑問。
 で、乗り込んでわずか1時間でダッカに到着。空港からワゴンバスで、この前とは別のホテルへ連れて行かれる。しかし看板が一切出ておらず、どうやらビーマンバングラデシュ航空か何かのトランジット専用ホテルなのではないか。前回よりも部屋ずっといいし。そして予想どおりNMさんと相部屋。夕飯はカレー。美味い。その後シャワー浴びてNMさんはテレビ観てたけど俺は先に寝る。

2002年5月19日日曜日

ポカラ→カトマンズ

 書き忘れ。六本木で働いてたという人から聞いた話でもうひとつ。日本人はインドでよくぼられたりしやすい一番のカモであるという話があるが、彼によれば最もインドでインド人に悪い目にあわされるのは素朴なネパール人であるとのこと。
 でもって本日。早起きして荷物準備して、ゴータマさんに連れられて宿を出る。歩きながら以前ゴータマさんがオーナーやっててその当時俺も泊まったニューフレンドリーゲストハウスには『旅行人』スーパーマップの富永省三さんも泊まったことがあるという話を聞く。そこで約一ヶ月宿泊して地図を仕上げていたらしい。そういや5年前に泊まったプリーのラブアンドライフでも富永さん直筆の地図があった。結構いろんなところで富永さんとすれ違ってたのかもしれないですね。
 で、バスステーションへ。ポカラからカトマンズ行きのバスに乗り込む。先日からよく会う日本人女性、YAさんも同じバス。俺はツーリストバスってどこでブッキングしても結局同じ一つのバスにまとまるもんだと思ってたんだけど(過去のバス移動の経験と、今回バラナシ→ポカラ間のバスがどこ行ってもチケット買えなかったことに恐らく起因する思いこみ)、実際には複数の業者がいくつかバスを出していたことを今更ながら知ったのであった。値段も上は700ルピーくらいまであるらしい。その場合はバスにトイレも付いてたりするらしい。だけど俺もYAさんも200ルピーのワゴン車をちょっとでかくしたようなバス。ちなみにこのバスに乗ってる外国人ツーリストは我々を含めて6人程度で、その他はどうやら現地のネパールの方々ばかり。バスは朝7時に予定通りきちんと出発した。到着予定は午後2時。早々と到着してのんびりできる非常に余裕のある移動である。
 バスは実に順調に進んだ。朝飯休憩とったりしながらすいすい。だが事件は午後1時過ぎに起きた。突然渋滞となり車が前へ進まなくなったのである。道は山に沿ってカーブを描いており、そのためかなり先まで見えるんだけどそこにずらーっと車が並んでいてどこまでこの渋滞が続いてるのかさっぱりわからん。ごくたまにちょっと進むんだけどすぐにまた止まる。なのでもうどのバスの乗客も(やたら沢山のバスだらけ。ネパールは鉄道がないので長距離移動はバスばっかりなのである)みんな降りてそこらをぶらぶら。そのうち何やらネパール人によるかけあい漫才のようなものまで始まる始末。対向車線はたまーに向こうから車が来るけど基本的には殆ど来ず、てことはきっとどっかで一車線になってそれで渋滞が起こってるんだろうなあとか思うのだが、その対向車線を使って進もうとする車も多く、そういうのが対向車の行く手を阻んできっとさらなる渋滞を招いているのではないか。そんなこんなで気付くと到着予定時刻なんぞとっくに過ぎている。そして雨も降ってきたりして、ようやく渋滞の原因と思われる、どうやら土砂崩れを起こしたために一車線となってるところを通り過ぎる頃には外はもう真っ暗、夕飯休憩を挟んでカトマンズに到着した頃には夜の11時をまわっており、バスの天井に乗せていたバッグはビニールシートがかぶせられていたにもかかわらず中までびっしょり濡れていたのであった。
 そしてタメルへ入るともう殆どのシャッターは下ろされ、ゲストハウスの大半も電気が消されており、でも一応ゴータマさんが紹介してくれたムスタングゲストハウスへ行くとやはりここも真っ暗。チャイムを押して出てきてもらい、YAさんとシェア。しかし着替えは全部濡れてるためにシャワーも浴びれず寝るのであった。といってもベッドに入って電気消してからも延々とかなりどうでもいい会話をし続け、そろそろ寝ましょうといって黙った後もやたらと俺は寝付きが悪く、朝までうとうとという状態が続くのであった。

2002年5月18日土曜日

子猫その後

 ポカラ最後のチベタンブレッド。調理中にカンチャくんがさりげなく(というふりして多分半分は本気かも)自分が日本で働いてみたいということをちらっと話すが、さりげなさのおかげでこちらも冗談としてその場を流すことができて助かる。すまん。俺は何の力にもなれん。その後ポカララストデイということでレイクサイド方面まで散歩。もう本当にツーリストがいない。不思議なくらい。ツーリストに寄ってくるトレッキングガイドもいない。
 適当な店でスプライト飲んで山本周五郎『日日平安』(新潮文庫)の表題作読む。『椿三十郎』の原作なわけだが、映画も相当に穏やかな感じだったと記憶するがこちらもまた輪をかけてのんびりしたお話である。その間抜けさかげんが楽しいわけだが、よくまあこれを『用心棒』の続編にしようなんて思うよね。普通だったらまったく別の映画として作ろうと思うんではないか。あの桑畑三十郎がのんびりした人たちに翻弄されるっていうシチュエーションが楽しいのではないかとひらめいたのかしらね。事実そのとおりだし。
 で、またぶらぶらしながらダムサイド方面へ。マウント富士MOMOレストラン横に子猫の様子を見に行くと、やはり二匹とも死んでいた。一昨日母親らしき猫が近くに様子見に来てたから大丈夫かと思ったのだが駄目だった。関わらなきゃよかったよ。さらに歩いてアニールモモ隣のネパーリーキッチンへ。『マスターキートン』1巻読みながら焼き肉定食。米は水っぽくすることで日本風にしており、肉も味は頑張っているがなんかやっぱり俺はアニールモモの味付けの方が好きだな。本はこちらの方が多いんだが。
 その後ネット。宿に戻って明日は朝早くて両替なんぞしてる余裕がなさそうなので今のうちに宿代等支払う。宿の並びの奥さんのお姉さんが経営する店でスプライト。部屋でごろごろしてたら停電でファンが止まったので散歩に出る。と思ったらすぐに雨が降ってきたので戻る。ゴータマさんからカトマンズに友人のやってる宿があるから連絡しようかとのこと。自分でいろいろ探すのもめんどくさいのでお願いする。タメルのムスタングゲストハウス。
 夕方になったのでやたらゆっくりした足取りでアニールモモへ行きとんかつ定食。少しすると今までみかけなかった日本人のおじさんが一人来る。挨拶だけする。その後昨日も会った日本人女性がやってくる。どうやら彼女はこのおじさんとも顔見知りだったらしく会話となる。店にいる間は土砂降りだったが、帰りは雨が止んでいた。しかし戻ってシャワー浴び終える頃にまた雨。タイミング良かったね。明日は朝7時のバスでカトマンズ行き。以前は宿までピックアップに来てくれたのだが最近はそれはやってないらしくバスターミナルまで歩いて行かねばならない。場所をアニールモモで彼女から聞いたところ、スノウリからのバスが着いたところではないというのでちと早めに起きて確認した方がいいのかもしれないね。ということで早めに寝る。