2002年4月30日火曜日

バラナシ

 朝になってやっと街が動き出し、目の前の開いてる食堂で飯。この後7時半頃にインド側でバスに乗るために、ネパール側の旅行代理店で手配してもらうことになっていたのだが、しかしその旅行代理店だけがシャッター開かず。どうも周囲の人間の話では我々の乗るはずのインド側のバスがクラッシュして動かないとか。だからといってこういう国のためか他のバスに振替という発想はないらしく、こちらがそれを提案するほどの語学力もなく、別のバスを予約せよとのこと。バラナシまでのバス代払ってるのに。仕方なくおじさんと一緒にバスを予約し、国境を越えてそのバスを出してるという旅行代理店へ。そこからぼろいバスへ連れて行かれて乗り込むと、またチケット代を要求される。さっき国境で払ったぞこらなどと二人で抵抗するものの、その相手のインド人が数名つるんでおり見るからに暴力的であるために二人で相談して結局支払う。大変不快ではあるが暴力には屈するし、日本円で考えれば大した額ではないのでまあ早速インドだなということで二人とも納得。おんぼろバスも発車。しかし、あまりにもおんぼろ過ぎて、ちょっと進んでは止めてメンテナンスというのを何度も繰り返し、とにかくちいとも進まない。結局そのうちに後ろからやってきた別のバスを運転手が止め、乗客は全員そのバスに移ることに。またバス代請求されるかもと思ったがそれはありませんでした。しかしその乗り換えたのはツーリスト用ではなくローカルバスだったため、バラナシまでの長距離だったにもかかわらず頻繁に現地の人たちが乗り降りを繰り返す。しかも立ったままの人も多数。で、まあなんとかバラナシに夜8時到着。
 おじさんともう一人、途中で加わった日本人の若者20歳と3人でサイクルリキシャに乗ってゴドウリヤー交差点へ。そこでおじさんはプシュカルゲストハウスへ行くというので我々2人で送って、若者はシヴァガンガーゲストハウスへ、俺はハリチャンドラガートのHOTEL SONMONYへ。かなり歩くが繁華街なので夜でもまだ安心。やや暗いけど。で、チェックインしてから飯食って風呂(シャワー付の部屋でした)。そんなハードな一日であった。

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