2002年4月25日木曜日

カトマンズ

gen1971gen2002-04-24
 朝7時頃ドアがノックされる。朝食とのこと。料金はすでに込みとのことなので1階のレストランへ同室の男と向かう。するとこいつによれば、昨晩も12時頃にノックされて夕飯だったんですよね、一人で行ってきましたよ。などと言う。12時といえば俺が寝た直後である。さっぱり覚えてないところからして多分眠っちゃってたんだろうが、しかし普通一声かけるだろう。ほんと駄目ね。腹減ってたわけじゃないからまあいいけどさ。つまりは自分から他人に声かけるという行為がとにかくできない人ってことではないかと判断。そのくせ思い返してみると、昨日空港で機内で、とにかくこいつは俺に話しかけないながらもちらちらとこっちを見てたのである。気付いてるということは俺もこいつを見ていたのではないかと思われる方のために言い訳しておくが、俺はああ日本人が一人いるなと思っただけであとはほったらかしてたんだけど、とにかく視線を感じることが何度もあったのである。つまりとにかく他人が気になるタイプであろうと思ったのだが、そのくせ自分から一切働きかけないのはどうしたことか。同室になりやっとちらちら見るということから開放されたのに、にもかかわらず食事ですよと一声かけられないのはどうしたことか。ああ不愉快。住所交換とかしないでよかったよ。しかしまあ腹が立つのは今この日記書いて思い出してるからで、このときはやっぱり不快ではあったけどどっちかというと呆れちゃっていたような気がします。それに僕も気が小さいのでここで怒ってもめごととかにしたくないし。でもってあまりおいしくない朝食(トーストと紅茶)を摂って、出発までホテルのロビーで待つ。同じルートのネパール人ビジネスマンと話してたら、今ネパールはストライキ中だという。
 時間が来て空港へ。ダッカからカトマンズへ飛ぶ。空港を出るとほんとにストライキ。まともに空港に乗り入れてる交通機関がなく、街までは白タクとかなんだかうさんくさいバスとかばっかり。で、俺はカトマンズ空港利用は初めてだったので、同室だったつまんない男がどうやら何度も来てるような発言してたからまかせてみたところ、やたらと各車の運転手に翻弄されて全然決められず、あげくのはてに俺に向かって「お好きなタクシー選んでくださっていいですよ」などという。なのでさっさと決めて、タメル地区までシェア。降りてさっさと別れる。せいせいしました。もっと早めに別れればいいだろうという意見もあるだろうけど、流れもあってなかなかそうもいかないのよ。人が多ければ人混みに紛れるという手もあるけど人少ないし。
 ストライキ中であるためもあって、空港からタメルまでとにかく銃を構えた軍人が多数おり、大半の店はシャッターを下ろしたままであった。実際に軍人が多いのは共産ゲリラ警戒のためってこともあとでわかったのだが。ニュースはきちんと見ておきましょう。で、宿探し。しばらく歩いてホリーランドゲストハウスというところに決定。しかしここは日本人宿だった。今回日本人宿は避けたかったのだが、決めちゃったからまあいいや。それに明日か明後日にはバラナシに移動するつもりだしね。と思ってたら、日本語の話せるフロントマンによれば、ストライキのため一般交通機関があと数日動かないからカトマンズから移動は飛行機以外無理だよとのこと。カトマンズに数日足止め決定です。仕方ない。街をぶらぶらして食事したりとかして本日はおしまい。

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