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2002年5月23日木曜日

帰国

gen1971gen2002-05-22    
 機内でなんとか少し眠ったのだが、飛行機というものはどういう時間帯のフライトであろうと必ず何かしら食事を出すのは義務づけられているものなのか、この飛行機は朝8時頃成田到着だったためか6時頃、まだあんまり眠ってない時間に叩き起こされて食事。しかし朝っぱからなんだか油っぽいオムレツなんかは食えるはずもなく、フルーツだけ食べる。本当はヨーグルトも食べようとしたのだが、これが甘みの全くないほんとのプレーンヨーグルトで、しかもなんだか濃くてまるでおいしくないチーズのような味であった。結局ろくに食えないもののために睡眠時間1?2時間程度で起きることとなってしまったのであった。そして飛行機はその後すぐに成田着。検疫で狂犬病の注射できる病院情報を得て空港を出る。
   
 京成線の駅で『週刊文春』5/23号購入、帰りの電車で読みながら帰る。ここでアジアから帰って来ると東京はなんてどうたらこうたらと書くといかにもアジア帰りの旅人のようであるかもしれないが、そういうことを書くような人間だったら成田出てすぐに『週刊文春』なんて買って最近の情勢を見ようなどと思わないはずなのでそういうことはここでは期待しないでくださいね。
 
 最寄り駅へ着き、腹が減ったので松屋で牛飯。

 帰宅後荷物整理したり、旅行中に来ていた郵便物整理したり。『旅行人』5月号が到着。外へ出て駅前書店と駅書店で『TV Bros.』5/25→6/7号(東京ニュース通信社)、『SFマガジン』『ミステリマガジン』ともに6月号(ともに早川書房)、『ユリイカ』5月号(青土社)、文藝別冊『ゴダール』『澁澤龍彦』(ともに河出書房新社)、『COMIC BOX』6月号(ふゅーじょんぷろだくと)、『映画秘宝』vol.31(洋泉社)、『Cut』6月号(ロッキング・オン)購入。買いすぎ。そうこうするうちに夜が更ける。

2002年5月22日水曜日

デジタルコピー品

 旅行最終日。正午がチェックアウトだったので、その後荷物を置かせてもらってサパーレックへ再び出向く。行く途中カオサンの端っこでNMさんとばったり。挨拶してまた歩く。が、ようやくサパーレックへたどり着くと、なんとこの前カトマンズへ向かう前に確認のために寄ったときとは大きく異なり、まるで昨日の夕方というほどではないにしろかなりの店がシャッターを下ろし、開けてる店もプレステ本体を置き、また改造してる店も堂々とありながらもなぜかソフトはゲームボーイのものばかり。なので目に付いた店に順々にプレステソフトはないのかと問うとただただ皆ないというばかり。ない理由はみんなアイドントノウとのこと。単に英語が駄目なのかもしれないけど。俺も含めて。しかし根気よく聞いてまわった結果、どうやら現在警察によるここサパーレックの取り締まりが強化されているということが判明。なぜならここはブラックマーケットでプレステソフトも著作権侵害にあたるコピー品だから。といってもこの警察の取り締まり強化は永続的なものではなく、ここ数週間だけだろうとおっさんは言う。てことはつまり俺のタイミングが滅茶苦茶悪かったってことなのね。警察も気まぐれでこんなタイミングでやらないで欲しいわ。

 ケンタッキーで一休みしてパンティーププラザへ。でもってしかしパソコン用ソフトはほとんどウインドウズ用でしかも英語版だったりしていらないし、映画のDVDも結構あるけどどうせ画質悪いだろうし第一DVDといいながら実体はVCDだったりしそうなので単にひやかして外へ。カオサンにそろそろ戻ろうかなあと思ってたら土砂降り。仕方なくシャッター降りてる店の軒下で雨宿り。ある程度小降りになってきたところでトゥクトゥクでカオサンへ。ちょっと小腹が空いたので路上イサーン屋台で食ってネットやったりして時間つぶし、7時頃に宿へ。9時に空港へのバス(実際にはバン)がピックアップしにくるのでそれまでジュース飲みながら時間をつぶさせてもらう。途中この宿に数日滞在してるという日本人が話しかけてくるが、自分から話しかけてきたわりにはだるいだるいとばかり言っていてあまり会話にならず、結局彼はいたたまれなくなって自分の部屋に帰っていくのであった。

 ようやく9時を少しすぎてからバスが迎えに来たので空港へ。バスの隣りに座ってた日本人カップルは二人とも左上腕部に刺青がありました。しかしいくら道が空いてるからといってあまりにも速度を出し過ぎなのではないか。軽いショックがあったら確実に思い切り横転してしまうくらいには速度が出てました。でも無事空港に到着、時間ぴったりですぐにチェックインし、上階のバーガーキングで時間つぶし、でもってボーディングタイムが近づいたのでイミグレーションを通る。残金がまだちょっとあったので免税店の商品をみたところ、なんでここはこんなに高いの。結局小さなチョコレートを買ってタイバーツをほぼ使い切る。そしてエア・インディアの出るゲートへ。するとやはりテロの影響か、やたらめったら荷物チェックが厳しい。まず手前でX線による荷物チェックで、今まで気にとめられたことのないカッターを預けることに。預かり証を渡され、成田で受け取れとのこと。でもってゲート内では今度は鞄を開けられ、内部まで調べられる。彼らの荷物検査の仕方はかなりいい加減で、検査することでこちらが動揺することがあれば要チェックという程度のものらしく、鞄をあけるんだけどじゃあ荷物を全部出して一つ一つ念入りに確認てことはしない。もちろんそれでこちらはいいんだけど、しかしあれじゃあ結局何か持ち込むことはかなり簡単に出来ちゃうよ。そして機内へ。出発は深夜1時近くとなり、飛び立ってすぐに機内のライトは消されてお休み時間となる。しかしもちろんデリケートな俺としてはなかなか眠れません。やっとうとうとしてきて、半分夢の中で飛行機が墜落するとわかったときの乗客の心境ってどんなもんなのかなあとか思った瞬間に飛行機が乱気流に突入し、今の思考と寝ぼけとがあいまってこれで終わりかなどと一瞬思ったりしてしまった。

2002年5月21日火曜日

バンコク

 朝5時頃目覚める。本当は6時頃起きる予定だったが、トイレ行ってたらNMさんも起きたのでそのまま準備。朝飯は前回と同じようなメニューでトーストとバナナとゆで卵。空港へ。本日は2時間ちょいのフライト。NMさんと隣の席だったので殆ど会話してるうちにバンコクへ。バンコクはどうやら天気がそんなによろしくない様子。雨期か? 明日の晩発つからそんなに気にならんが。

 エアポートバスA2でカオサンへ。さすがに本日の宿では一人になりたかったところ、NMさんはカオサンでも民主記念塔寄りの一角、つまり正確にはカオサンではない辺りに常宿があるとのことだったので、ワットチャナソンクラム方面へ行くつもりの俺とは離れることに。NMさんの行く方面はややカオサンより手前なので彼は途中でバスを降りる。ここでお別れ。俺もその後すぐに降りることになると思ってたらバスは物凄い迂回してそれから10分くらいしてようやくカオサンの反対側へ。そこで降りる。どっちにしてもワットチャナソンクラムとは離れてしまうのだが。で、寺敷地内を通って周辺の宿を探す。結局あんまりよろしくない感じのうすぐらーい宿(名前もわからん)となる。今更だが最終日なんだしもう少しこぎれいな高いところでも良かったかなーと思うけどいいや。もう手遅れだし。

 で、荷物置いてからこの前もちょくちょく行った路上イサーン料理。おっさんは俺のことを覚えていてくれたようで、メニューがなかったんだけどいつもの肉(バーベキューといってた)ともち米が出てくる。それ食ってからバーツ残金に余裕がなかったので両替して、スクンビット通りのエアインディアオフィスへ。リコンファームしてからパンティーププラザへ。ぶらぶらしてると日本人てことでやたらと日本のアダルトビデオをコピーしたVCDを薦められたりする。しかしアダルトビデオだと言い張ってるくせにジャケットはヌードにもなってない井川遥だったりして信用おけません。その後サパーレックへ移動するが、その時点で午後6時を過ぎておりほとんど店じまいしてたので戻る。あとは夜までそこらの屋台で飯食ったりして過ごす。

2002年5月10日金曜日

女医

 本日は医者の日。昨日自転車で走り回ってるときにみつけた病院へ行こうと思い、その前に腹ごしらえでホテルのレストランでレモンシュガーパンケーキとレモンティ。レモンティはいわゆるティーバッグなので問題ないといえばないが、パンケーキはこげすぎでした。やはり食事は外でするべきか。

 食後に歩いてでっかい病院へ。受付へ進むと薬局で注射用の薬買ってこいと言われる。受付にいた従業員が病院内の薬局窓口まで連れてってくれるが、今切らしてるんだかなんだかで、とにかくここではその薬はないと言われてしまう。困った。困ったって顔してると助け船。別の病院の場所を地図に書いて教えてくれた。なら最初からそうしてほしいとも思うが。地図によればこの病院から東へ進み、川を越える橋を過ぎ、ブッダチョークというところがあるからそこを左折。それからさらに右右右と入っていくとあるよ、とのこと。ちと最後の方がわかりづらそうだが、しかし地図を見る限りはそんなに遠くなさそうなので礼を言って歩き出す。非常に遠かった。まずでっかい商店街の一区画があって、そこまで10分くらい全く川なんぞないのである。おっかしいなあ、間違えたのかなあなんて思いながらも違うという確信も持てないのでまだ進むとでっかい例のバスステーションへ出る。そこをさらにすぎるとようやくやたら深い谷をちょろちょろと流れる川を渡る橋があり、ここまで来れば楽勝だ! 俺間違ってなかった! なんて思うが橋渡ってすぐにあるかのようにかかれていたブッダチョークなんてありません。というか左折できる道自体が全然ない。しかし川と橋はあったので間違いではなかろうと進むとようやく十字路発見。しかしどこにもブッダチョークなる標識はない。もしかしたら現地の文字で書かれていたりして、そうしたら俺には読めないよ、なんて思ってたら現地文字でかかれた簡単な地図を発見。読めないんだけど十字路の真ん中に仏さんの顔が描かれてるのでここがきっとブッダチョークだ。てことで左折。その後右右右ってことだったが病院だから何か印が出てるだろうと思って歩くとまた何もなく現地の人々が穏やかに暮らすのんびりした風景が広がるばかり。おっかしいなあもうそろそろ右に曲がってもいい頃じゃないの? てことで右に曲がれるところの角にあった商店のおじさんに病院どっち? と聞くとまだまだ直進する方向を指す。直進。するとようやく「HOSPITAL」という標識が出てきてまだまだ真っ直ぐ。すると右手にドラッグストアが見えたのでこれは近いと判断。そのすぐ先に右に折れるところがあったので念のためその角にいたおねえさんに病院こっち? と聞くとさっきのドラッグストアの正面を指す。見ると広大な土地の奥の方に建物があり、あれが病院だという。しかし土地の入り口には何やら警備員みたいないかついおっさんが一人座っており、しかも現地文字で何か書いてあるだけなのでてっきり軍の施設かと思いました。で、そのおっさんにここは病院か? と確認してようやく敷地内へ。建物へ向かうが土地内の駐車場にたむろしてるタクシー運転手がタクシー乗るか? なんて話しかけてくる。俺今外から入ってきただろうがボケ! なんて長時間歩いていらだってるから心で思うけど英語で言えないのでノーとだけ言って病院内へ。レセプションで狂犬病注射のカード見せると早口の英語で何か言われる。聞き取れないので聞き返すと同じスピードで同じトーンで言い返される。どうしてスローでとかいうことをしてくれないのでしょう。で、まあとにかく2回目でなんとか聞き取ったことによると、ファーマシーで薬を手に入れてエマージェンシーへ行けとのこと。ああ、薬局でいいんだなと先ほどの土地正面にあったドラッグストアへ向かう。と、先ほどのタクシー運転手がタクシー乗るか? などと言ってくる。こんな早く用事終わるかボケ! とか思うが無視。ドラッグストアへ。しかしここにはないと言われてしまう。またたらいまわしかよ! と思ったらファーマシーへ行けという。ここじゃないの? 建物の中だって。戻る。またタクシー運転手が話しかけてくるんじゃねえのかこの野郎と思ってたら気付かれませんでした。かえって拍子抜け。レセプションの横にファーマシーがあり、薬買ってエマージェンシーへ。そこでまた人に聞いてインジェクションルームへ。すると若くてきびきびした感じのなかなかに美しい女医さんが一人。事情話して薬渡して注射してもらう。その趣味の人にはたまらないでしょう。かなり注射がうまくて痛くなかったのでかえってその趣味の人には物足りないのかもしれないが。で、レセプションで金払うのか? と訪ねるとその必要はないとのこと。これでフィニッシュ。女医さんに金払う必要も無し。手続き一切なし。なんといい加減な国であろうか。突然やってきた外国人旅行者が注射うってくれといってうってそれっきり。まあ保険のためのめんどくさい書類記入とか手続きとかないからこっちは楽だけどね。で、再び長い長い道を歩いて宿へ帰る。

 途中空港の横を通るとここでも中で兵士が銃を構えている。このとき進行方向左側が空港で、俺は道の左側、つまり空港側を歩いていたのだが、兵士は俺に気付くと道路の右側を歩けとジェスチャー。実際にテロとかのこともあって空港側は歩くなってことなんだろうけどね。で、宿で少し休んでアニールモモへ。野菜炒め定食頼んで『柔道部物語』3?5巻。時間かけて読んで食って宿に戻り屋上に出て読書と思ったが暑いので庭で読書。夕方5時頃になりレイクサイド方面へ散歩。トレッキングガイドたちにいろいろ話しかけられる。今はオフシーズンでツーリストがいないから困ってるようである。ついでにテロ問題とかもあるし、なおさら客が少ないのであろう。暗くなってきて腹も減ったのでエベレストステーキハウスで奮発してステーキ。肉はうまいが米はまずい。ソースもいまいち。塩と胡椒だけで食べるのをお薦めします。7時半頃レストランを出て戻るが、店の電気はまだどこもついてるけどやはりレイクサイドとダムサイドの間は暗い。途中真っ暗な中で兵士が検問していてびびる。で、宿に戻りトイレで大きいのしてたら停電。なんとか尻を水で流して(今回の旅行中、基本的にトイレットペーパーは使ってません)階下へ降りて蝋燭借りて、暗い中蝋燭の明かりでシャワーなんとかあびて横になる。

2002年5月9日木曜日

カースト制度とポカラのジキジキ事情

 お金を節約しようと思い、朝は現地の人たちがたまっていたレストランへ。メニューは置いてないというので何があるか聞くとモモとチョウメンとのこと。モモを食べていまひとつ満足した味を得たことのない私としてはここはチョウメンを食べることにする。で、何チョウメンがあるかと聞くと野菜、水牛、卵。卵チョウメンに。目の前で調理開始。作ってる間に隣の店の若者が入ってきて、以前日本に7年間いたということで日本語がかなり話せるので会話。六本木のインド料理屋で働いていて、テレビ朝日が近いからいろんな有名人を見たという。でも名前が挙がったのはアムロナミエだけでした。忘れちゃったのかな。そのうち話はいつしかヒンドゥー教のカースト制度について、彼の一人語りになる。今から20年くらい前、俺が5?6歳の頃はまだカースト制度は根強く残っていたよ。ロウカーストの人をみつけるとみんなでいじめてたよ。でもこの20年間で少しずつだけどカーストは重要視されなくなっていった。多分今の子供たちは俺が5?6歳の頃にやったようなロウカーストいじめなんてしないだろうし、(そばにいた1?2歳の子供をさして)この子くらいの年代の子たちはきっともうそんなものを知ることもないんじゃないかな。全ては教育のおかげだよ。俺も今の方がいい。もちろんイリーガルなものでありながらも今でも残ってるシステムではあるけどね。昔はロウカーストの人がこういうレストランで食事をした場合、食後に自分で自分が使った皿を洗わなくちゃならなかった。今でも50歳くらいのロウカーストの人なんかは自分で洗おうとするよ。でも教育が行き届いて少しずつ変わっていった。カースト制度はまだあるけど、人間はやっぱり平等がいいよ。こう語る彼のカーストが何なのかは聞かなかったが、ロウカーストをいじめてたということからして下の方ではないだろう。でもやっぱりカーストはない方がいいと言い、いじめてた過去は嫌な記憶らしい。

 食後に宿の方へ戻って近くでレンタサイクル。レイクサイド方面へ走り、とにかく町中走り回る。湖沿いにずーっと行ってみると5年前にもこの辺りを歩いたことを思い出す。今回はそれ以上奥まで進み、サランコット方面入り口まで行こうと思うが、途中からあまりにも道が悪くなり挫折。戻る。戻ってアニールモモの隣のネパーリーキッチンで食事と思うが人がおらず結局アニールモモへ。しばらくそこで手塚治虫『ブラックジャック』、小林まこと『柔道部物語』などを読む。『柔道部物語』は昔途中まで読んでいたのだが(もしかしたら以前もここで読んでたのかも)、あまりにも面白いので全11巻をポカラにいるうちに読むことにする。明日から毎日アニールモモに来ることが決定してしまう。

 食後に今度はいわゆるトレッキングルートからサランコット入り口を探す。ガイドブックを持っていけばすぐわかるはずなのだが重たいので持っていかない。するとオールドバザールを通り過ぎてしまい、道行く人に聞くともっと手前とのことなので聞きながら戻ってサランコットへの入り口発見。今度1日かけてこっからサランコットへ歩いてみることにする。でも明日は狂犬病の注射うたなくちゃいけないのでその後。ちなみにここまでの道ででかい病院をみつけたので明日はそこへ行けばいいでしょう。で、その後まだ本日は時間があったのでぶらぶらしながら寄り道しながら自転車こいでるとバスステーションへ出て、どうやら昨日朝着いたところであるとわかったのでタクシーで通った道で宿まで戻って道を頭に入れる。その後6時過ぎまで自転車乗り回してから返却。宿へ。宿のレストランでダルバート。俺やっぱりあんまりダルバートって好きじゃないや。

 で、本日某所某人物になぜかポカラのジキジキ事情を聞くことに(その人の立場もあるので誰かは書きません)。言い訳しとくけど自分から望んで聞いたんじゃないよ。1回1000ルピーくらいらしい。安いね。でも多分外国人ツーリストが行くともっととられるだろうとのこと。ユー、トライ? いいえ。ちなみに1回1000ルピーでどれくらいの時間なのかと問うと、彼は出し入れ何回くらいの摩擦によってフィニッシュを迎えるのかという意味に取り違え(そんな質問普通しません。中高生くらいならするか?)50回くらいと答えたりしていた。結局夜行けば朝までOKと判明。そんな1日。フロントにあった瀬名秀明『八月の博物館』を借りたのでポカラにいるうちにこれを読みましょう。

2002年5月3日金曜日

16 DECEMBER

gen1971gen2002-05-02 
 医者の日。フロントで病院の場所を聞くと、実は今宿泊客の一人が調子悪くて医者が来てるから、その先生が降りてくるまで待てとのこと。どうせ注射うつだけなのででっかい病院である必要も特にないためフロントで待つ。するとドクターが降りてきたので事情を話し、彼のバイクの後ろにまたがって薬局へ。狂犬病予防注射セットを買ってこいと言われ、そのとおりに。薬局の兄ちゃんは冷蔵庫から出してほらよっと放り投げてくるんだけど、こんなに簡単に出てくるってことはやっぱりこのあたりでは多い病気なんでしょうね。でもって再びドクターの後ろにまたがると物凄く近くにあった彼の医院へ到着。その場で注射うってもらうことに。しかしドクターったら薬の梱包といて注射の準備してる間、どうやら手を洗っておらず、途中で気付いて手を洗う。スリリング。旅行保険証を見せるがどうもよくわからず、とりあえず金払って手紙を書いてくれる。実際に帰国後レシートを提出して返金てことなのかもしれないけど実はきちんとシステムを理解してないのでわかりません。で、カルテ記入の際にドクターは冗談でお前は男か女かなどと聞いてくるのでこちらもわざと一瞬迷ってちんこ確認するそぶりをするというくだらないことで返すとばかうけ。かえって自分が情けなくなります。

 その後アショカレストランでターリー。が、朝からターリーはちときつく、その上蠅がものすごいため食欲減退。残す。店員は辛かった? とか聞いてくるがそうではなく申し訳なくそそくさと店を出る。一度宿へ戻りガート沿いに散歩。

 午後、ホテルのフロントマンと約束してたので戻って彼とその友人と一緒に3人で映画。作品はマニ・シャンカール監督の『16 DECEMBER』。聞いたことある名前の監督だから有名なのかな? と思ってたんだけど帰国して今これ書きながら調べたらラヴィ・シャンカール(インド映画音楽の人)と勘違いしてました。日本では公開作なし。でもってこの映画、『スパイ大作戦』インド版といった趣で、全体的にインド映画としてはシャープな感じでテンポよくてかなりハリウッド映画を意識してる、ある意味新たなるタイプのインド映画なんだけど(俺の観てきた範囲で)、こっちとしてはそういう他の国でありがちな映画ではなくいわゆる歌って踊るインド映画を観たくて来てるのでちょっとなあ。歌も踊りもなくはないんだけど、歌の大半はスパイチームのこれまでの活躍をカットバックでみせるところでのBGM的な使われ方をしてるのでかなりそういうインド映画的なのとは違うのね。そんなわけでフロントマンはかなりいい映画だと言ってどうやら本日すでに数回目の鑑賞だったらしいんだけど、すまんが俺はいまいちだった。事実それほどうまいわけではないスパイサスペンスといった感じ。

 宿に戻ってガート前にある火葬場をしばらく眺める。その後歩いてダシャーシュワメードガートへ。本日は大規模なプージャが行われており、河では精霊流し、ガートでは大勢の人々が音楽を奏でながらお祈り。音がでっかいのでほとんどお祭りであるが。しばらく見学の後、夕飯食って戻る。以上。

2002年5月1日水曜日

ベンガリー・トラ

gen1971gen2002-04-30 
 朝9時頃、ファンが停止したため暑くて起床。停電。で、外へ。ベンガリー・トラのどっかで食事しようと路地に入ると早速インド人が話しかけてくる。今回の旅行では基本的に話しかけられたら反応はするようにしようと思っていたので会話。で、ベンガリー・トラはこのあたりからだとどう入ればいいのかと問うと、ガイドブック上ではBhadaini Rd.とされている、いわゆる大通りへ出てここがベンガリー・トラだという。後で他の人に聞いても同じように答えるのでもしかしたら本当にベンガリー・トラってのはガートに平行した裏の路地のことではなくこの大通りのことなのかもとか思う。でも日本のあらゆるガイドブックでは路地がベンガリー・トラだしなあ。俺の会話能力に問題があるのかもしれませんが。
 
 で、その大通りに出たところ、ちょっと道を聞いた現地の若者が延々と話しかけてくるので、申し訳ないが彼をまくために目の前にあった適当なレストランに入ると彼は「ここはいいレストランだ。じゃあね」と言って去る。いい人だったんだね。すまん。で、エッグパコラと水。そして狂犬病予防の薬。その後ホテル前のハリチャンドラガートから、ガート沿いを途中にある店でチャイ(2ルピー)を飲んだりペプシ(10ルピー)飲んだりしつつメインのダシャーシュワメードガートまで歩く。そっから今度はビシュナワート小路へ。

 以前クミコハウスに泊まったときにチケット買うならここでと言われてちょくちょく来てたシルク屋はどこだったかしらんとちょっと探してみるがわからず。こっちの道は全く頭に入ってないので、また大通りへ出てゴドウリヤー方面へ。初めてインドに来た時(1994年8月)に誤ってバングラッシーを飲んでしまった店に行ってみるがやってなさそうな感じなので再びダシャーシュワメードロードへ。ガート方面へ行く途中にいた屋台のアイスクリーム屋からオレンジアイス(5ルピー)を買いその場で食す。物凄く人工的な味。そして(ガイドブック上の)ベンガリー・トラへ。プリンス楽太郎(プリンス似ということになってるが実際には今田耕司似)と名乗る従業員(もちろん現地の人)がいた店(スパイシーバイツレストラン)等確認しつつ進み、クミコハウスへの曲がり角まできて、その前の店でリムカ(10ルピーくらい)を飲む。

 クミコハウス前を通ると中から宿主のシャンティさんに入れと手招きされるので、5年前にここに泊まったけど今はよそに泊まってますがいいの? てなこと言うといいから入りなさいとのこと。お言葉に甘えて内部へ。1階はどうやら作り直したらしく前より細かく部屋が別れていてきれい。そして5年前にちょっと具合悪そうだったシャンティさんは実に元気そうである。どうして以前ここに泊まったのに今回はよそに泊まるのかなどという大変難しい質問をされるが機転を利かせて曖昧に答える。

 で、またベンガリー・トラへ。そこをずーっと通って宿へ戻る。一休みしてまた外に出て、食堂でベジ・ターリー(12ルピー)。他に水と7UPも頼んだので計32。飲み物は高い。ターリーが安すぎるのか。で、また宿で一休みして、今度はアッスィーガート方面へ歩く。さっきのハリチャンドラ→ダシャーシュワメードも昼前のせいか人が少なかったが、今度はさらに少なく、たまにすれ違うインド人が悪人だったらどうしようなどと考えるが無事にアッスィーガートへ出る。そっから大通りへは出ずに路地を通って宿方面へ戻ろうとするが、ここらへんはあまりに道が入り組んでる上にところどころに犬がいてしかも結構活動的。先日かまれたばかりの私としては大変恐ろしい。結局かなりうろうろして大通りへ出てそっから宿方面へ戻る。

 またガートに出て今度はダシャーシュワメードも越えてマニカルニカーガートの方へ。ここの火葬場で見物しろとやたらしつこく言われるが、以前ここで見物料を請求された思い出があるので(払ってないけど)適当に断り路地に入る。で、とにかく屋上からの風景が素晴らしいという噂のプージャゲストハウスへ。停電中の上にどうやら日の光があまり入らないらしく中は大変薄暗いのだが、快く屋上を見物させてくれて上がると物凄いいい景色。しかも今はシーズンオフのせいかほとんど客がいない。ここでも良かったかもね。しかも屋上というか建物が周囲のどの建物よりも高いので、とにかく遠くまで何も遮るものがない。下見ると恐いけど。

 ダシャーシュワメード方面へ歩いていこうとすると、この辺り道がよくわからず迷い、気付くと先ほどやっぱりわからなかったビシュナワート小路に出る。例のシルク屋ってやっぱりこの辺りだったと思うんだけどどこだったかなあとぶらぶらしてるとそれらしいところを発見。しかしあの広さの店がなく、似てるけど違うところなのかしら、おっかしいなあと思って出ていこうとしたところオーナー発見。互いに顔を覚えていて店内へ。店自体は前の半分のサイズになっていて、不況なのかしらと思いつつもそのことを聞くと、1階のこの部分はせまくなったけどかわりにこの上ほぼワンフロアを買い取って自分の商品がたっぷりあるという。もうかってるんじゃないか。チャイをおごってもらう。ネパール王室殺人事件や去年の米テロ、アフガン報復等のあおりで客足が遠のいた、しかも今はシーズンオフで暇だという話。でもそろそろ日本はゴールデンウィークだから日本人もきっと増えると思うよと言っておく。無責任な発言だけど。しばらく談笑の後店を出る。外はもう暗い。道は明るいが。

 またベンガリー・トラへ。スパイシーバイツレストランで唐揚げ定食。しかしプリンス楽太郎はもうこの店を辞めたとのこと。そういや今日の昼飯のときにお薦めの店を教えてくれたおじさんがいたのだが、彼は自分が楽太郎の親父だと言っていた。ほんとだとしたら世間はとても狭い。

 食ってベンガリー・トラを歩いているとクミコハウスへの曲がり角にあるアンキタレストランの従業員に声をかけられる。が、今はもうお腹いっぱいだからまたね、でもここは5年前に来て食べたよというと、互いにさっぱり覚えてないのにやたら喜ばれ、実はうちは最近ゲストハウスもオープンしたからみていってくれと中を案内される。今俺が泊まってるHOTEL SONMONYと同じようなレベル(ダブルでシャワー・トイレ付)で80ルピー。オンシーズンでは100。でもこのくらいのレベルなら120くらいでもいいのではないかと思ってそう伝えるが、彼は旅行者は少しでも安い方に流れるから120でも高いという。そんなもんか。インド旅行してる外国人(日本人含む、というか特に日本人)はケチだもんな。で、日本人のオンシーズンを教えてあげる僕はとっても親切です。ただ、これだけゲストハウス過多だとやはり新しくオープンしてもきついのではないか。

 どんどん暗くなってベンガリー・トラの店も閉まっていくので宿へ戻る。するとホテルのフロントの男(なんとまあカルカッタのサトシそっくり)が俺のカメラ(EOS5)を見てこの宿の屋上からの風景をフロントに飾りたいから写真撮ってネガをくれと言う。了解。で、なぜか雑談。ミスター・クラマエ(蔵前仁一編集長)を知ってるかと問われたので、2年前まで俺は彼の会社で働いていたんだと答えるとそのミスター・クラマエの名刺を出してくる。去年の『旅行人』でのバラナシ特集、蔵前さんはこのホテルに泊まってたんですね。まあ俺もそれ読んでここら辺のホテルは穴場だってことで来てるんだけど。で、じゃあ知り合いということで俺に対してサービスが良くなるのかなあとか思ったら、フロントの男はミスター・クラマエはここに一ヶ月も滞在して毎晩俺と長時間いろんな会話をして、このホテルをガイドブックに載せてくれるといってたんだけどでも載ってない。どうしてだ! と何やらエキサイトしてきたのでこれから出すガイドブックに反映させるんであってまだその時は来てないんだよと言って退散。実際ほとんどのガイドブックはバラナシに関してこの辺りまでフォローしてないことが多く、仮に地図が載っていてもここら辺の宿に関してはさっぱり書かれてなくて(ロンリー・プラネットでさえもそのようである)結果として客の大半はダシャーシュワメード周辺に流れてしまうので彼の怒りももっともではある。で、部屋に戻ってシャワー。しかし犬に噛まれた左手の包帯はまだとれないのでシャワー浴びづらいことこの上なし。寝る。

2002年4月29日月曜日

スノウリ

 朝、医者へ。例の狂犬病関連です。注射。で、旅行中各地の病院をまわってまたカトマンズに帰ってくるんだから、そしたらまたここに来て報告せよと言われる。怪我の包帯は5/2にとって、以後は塗り薬を使用せよとのこと。

 宿に戻り、夕方の出発までまだ時間があるので昼寝しておきたいと思い、従業員に本日分の部屋代払うといって夕方までの使用許可をもらう。しかしあまり眠れず、結局昼過ぎに起きて食事。ネットやら散歩やらして宿に戻り、ちょっと早かったがチェックアウトしてフロントで待つ。一緒にバラナシへ向かうおじさんもチェックアウトしてフロントにいたのでお話。

 時間がきたので二人でバスステーションへ。といってもバスステーションというか単なる広場にツーリストバスが来る。なんとバスの乗客は我々を含めて4人。結構でかいバスなのに。で、動き出すが、さすがネパール、山国なのでものすごいうねうねした道を行くため、気持ち悪くなることこの上なし。すいてたおかげで通路はふさぐが4人分の座席を使って足を伸ばして横になれて良かった。そんなこんなで途中食事休憩を挟んで、午前2時に国境の町スノウリに到着。そのまま深夜だけど国境を越えてインド側に入国するものかと思いきや、どうやらそんなことはなくて午前4時までバスの中で足止め。

2002年4月27日土曜日

病み上がり

 ほとんど眠れないまま朝になり、病院で朝食のかわりにビスケットとオレンジジュース。薬もらって、あとなぜかマネージャーが趣味としている外国人患者の写真撮影につきあわされ(アルバムも見せられた)宿へ戻る。今後も特定の日ごとに各地の病院で注射を受けなければならなくなってしまった。

 宿で睡眠をとろうとするがまたしてもほとんど眠れず。疲ればっかり出ます。仕方ないので昼過ぎに起きてメシ。すると店に入った途端に土砂降り。そのため身動きがとれず、レストランでしばらく過ごす。その間他に客は来ず。しばらくして小降りになったので宿へ戻る。あとは雨止んでからぶらぶらして過ごす。

2002年4月26日金曜日

犬に噛まれる

gen1971gen2002-04-25 
 カトマンズ二日目。ストライキ中なのは相変わらずなのでぶらぶら。昨日よりはシャッター開けてる店は多い。スワヤンブナートまで歩く。一応地図を頭に入れて、道行く人々に聞きながら片道1時間近くかかって到着。門から階段を上っていくと異常な数の土産物屋で、適当にあしらいながら進むと物凄く急な階段が出現。かなりきつい。ぜいぜいいいながらのぼると、あと数段でゴールというところで切符売り場があり、50ルピー。ここまで来て高いといって降りるのも馬鹿らしいので払って入場。通称モンキー・テンプルというだけあって猿はそれなりにいるが、犬も猫もいる。いわゆるネパール的な目ん玉のついた塔やマニ車。敷地が結構広いので時間をかけて歩く。ぱっぱか見ても時間を持て余すだけだし。猿に近づいた白人観光客が腕にかみつかれて大騒ぎしていた。しばらくのんびりしてからまた急な階段を下りて、やや異なる道を通ってタメルへ戻る。

 途中子供たちに囲まれ、各国の首都を当てるからクイズを出せと言う。日本は? トーキョー。ネパールは? カトマンズ。 アメリカは? ワシントンDC。などなど。でもしつこいしこっちはちっとも面白いわけではないので疲れたからとか言って別れる。宿に戻って、まだ数日先ではあるけどバラナシ行きのバス予約できるというので頼んでおく。

 タメルから南方面をぶらぶら。途中ちょっとした広場でくつろいでると現地の子供がザ・ロックのTシャツを着ていたので「ロックだね」とか声をかけると、その他のガキも群がってきて、何やらガムの包み紙みたいな小さな紙に印刷されたWWFスターのコレクションを見せられる。これがロック、これがアンダーテイカー、これがスティーブ・オースティン、などなど。中にはロックのマイクパフォーマンスを真似する子供も出る始末。しかし英語はわかってないようで「スメル」の「ル」でやたら巻き舌になってる部分だけのモノマネである。カトマンズではWWFが人気なんだなあということを理解する。

 ダルバール広場へ。そっからまた歩いて、街をぐるりと反時計まわりにまわって戻る。途中狭い道に山車みたいなのが出ていてすげえ人が群がってたのだが、ややツーリストエリアからはずれたせいか英語を誰も解さず、これが一体なんのためにあるのかといったことはさっぱりわからなかった。宿へ一度戻り、ちょっとしてからまた外へ。ぶらぶらしてたら犬が沢山いて、中にはしっぽふって寄ってくるのもいる。なでると喜ぶので調子に乗って次々となでまわしていたところ、そのうちの一匹に突然左手を噛まれて血がぼたぼたとたれる。急いで宿へ戻り、手を洗ってからフロントに相談。するとそりゃ大変だよとのことで医者へ連れて行ってくれるという。でもって着いていくとなんかいきなり薬局に行くのね。恐いから薬局じゃなくて病院に行ってくれと言って、かなり歩いて病院へ。とりあえず消毒して包帯巻いて注射。ちょっと検査するから待てといわれ、フロントマンは先に帰って一人で待ってると君は狂犬病だから入院だと言われてしまう(帰国後にわかるが実際に陽性だったわけではなく、可能性があったからとりあえず入院てことだったらしい)。てことで一泊入院。ドクターもナースもマネージャーもいい感じでテレビもありメシも出るが、ベッドがやけに固く蚊が耳元を飛び回りほとんど眠れず。蚊を避けるために毛布を肩までかぶってたために顔をさされた。