2002年5月18日土曜日

子猫その後

 ポカラ最後のチベタンブレッド。調理中にカンチャくんがさりげなく(というふりして多分半分は本気かも)自分が日本で働いてみたいということをちらっと話すが、さりげなさのおかげでこちらも冗談としてその場を流すことができて助かる。すまん。俺は何の力にもなれん。その後ポカララストデイということでレイクサイド方面まで散歩。もう本当にツーリストがいない。不思議なくらい。ツーリストに寄ってくるトレッキングガイドもいない。
 適当な店でスプライト飲んで山本周五郎『日日平安』(新潮文庫)の表題作読む。『椿三十郎』の原作なわけだが、映画も相当に穏やかな感じだったと記憶するがこちらもまた輪をかけてのんびりしたお話である。その間抜けさかげんが楽しいわけだが、よくまあこれを『用心棒』の続編にしようなんて思うよね。普通だったらまったく別の映画として作ろうと思うんではないか。あの桑畑三十郎がのんびりした人たちに翻弄されるっていうシチュエーションが楽しいのではないかとひらめいたのかしらね。事実そのとおりだし。
 で、またぶらぶらしながらダムサイド方面へ。マウント富士MOMOレストラン横に子猫の様子を見に行くと、やはり二匹とも死んでいた。一昨日母親らしき猫が近くに様子見に来てたから大丈夫かと思ったのだが駄目だった。関わらなきゃよかったよ。さらに歩いてアニールモモ隣のネパーリーキッチンへ。『マスターキートン』1巻読みながら焼き肉定食。米は水っぽくすることで日本風にしており、肉も味は頑張っているがなんかやっぱり俺はアニールモモの味付けの方が好きだな。本はこちらの方が多いんだが。
 その後ネット。宿に戻って明日は朝早くて両替なんぞしてる余裕がなさそうなので今のうちに宿代等支払う。宿の並びの奥さんのお姉さんが経営する店でスプライト。部屋でごろごろしてたら停電でファンが止まったので散歩に出る。と思ったらすぐに雨が降ってきたので戻る。ゴータマさんからカトマンズに友人のやってる宿があるから連絡しようかとのこと。自分でいろいろ探すのもめんどくさいのでお願いする。タメルのムスタングゲストハウス。
 夕方になったのでやたらゆっくりした足取りでアニールモモへ行きとんかつ定食。少しすると今までみかけなかった日本人のおじさんが一人来る。挨拶だけする。その後昨日も会った日本人女性がやってくる。どうやら彼女はこのおじさんとも顔見知りだったらしく会話となる。店にいる間は土砂降りだったが、帰りは雨が止んでいた。しかし戻ってシャワー浴び終える頃にまた雨。タイミング良かったね。明日は朝7時のバスでカトマンズ行き。以前は宿までピックアップに来てくれたのだが最近はそれはやってないらしくバスターミナルまで歩いて行かねばならない。場所をアニールモモで彼女から聞いたところ、スノウリからのバスが着いたところではないというのでちと早めに起きて確認した方がいいのかもしれないね。ということで早めに寝る。

2002年5月17日金曜日

GHUMTO

 朝食はそろそろチベタンブレッドにも飽きたのでレモンシュガーパンケーキ。しかしこれはいまいち。前にも一度食っていまいちだったことを思い出した。それからカンチャくんと、ゴータマさんの義理の弟くんと3人でネパール映画。しかしカンチャくんの仕事がおしたためかタクシーで出かけることに。メーターで約60ルピー。ワリカンで一人20。で、映画。義理の弟くんは自分で払い、俺は約束どおりカンチャくんの分も払う。一人40。作品は『GHUMTO』とかいうタイトル。ネパール語で表記されていたのを弟くんに頼んでアルファベット表記にしてもらってるのでこれで正しいかは不明。でもアルファベット表記がどこにもないので仕方ありません。内容は身分の低い女性と高い男性のラブストーリー。はっきりいってこれが新作なのかと思うくらい古臭い。フィルムにも雨降りまくってるし。例によって光量も少ないので画面ぼんやり。でもやっぱり歌って踊って3時間で、ネパール人の観客はどうでもいいようなギャグに大ウケしていて大層楽しそうである。でも俺はさして面白くなく、これがネパール映画の水準であるらしいとわかったことでもういいや。休憩時間に売り子がジュースやらお菓子やら持って客席を練り歩くのだが一昨日と同様ここでも売り子は基本的に子供なのであった。
 映画見終わってバスで帰る。俺はレイクサイド方面へ。また全然客のいない、やや高そうな店でエッグカレーとナン。95ルピー。高いよ。味は普通。食後ダムサイド方面へ。マウント富士MOMO横の子猫を、あんまり確認したくないけど気になってしまうので確認。一匹だけ見えるが動かず寝てるのか死んでるのかわからん。はっきりしないけど死んでたらいやなのでそのまま歩いてネット。宿へ戻って本読んだりして、7時半頃になったのでアニールモモへ。そしたら先日会った日本人女性がいたので話しながらお好み焼き。どうやら彼女も明後日俺と同じバスでカトマンズへ向かうらしい。途中停電があり電気が戻った9時過ぎにレストランを出て宿へ。シャワー浴び終えるとノック。カンチャくんであった。しかしまだ裸であることがわかるとじゃあいいとのこと。どうやら俺と話をしたかったらしい。すまんね、もう寝るし。しかし話をしたかったってのは何かしら。日本で働くためのビザ取得のための保証人になってくれとかいうのかしら。明日は逃げ回ろうか。実際保証人になったりしたらどのくらいの責任がこっちにくるのかわんないしなあ。でもこの前ちらっとそういう話(日本に行くには保証人が必要だという話。俺がなってやるなどということは一切匂わしてないつもりではある)になったときかなり本気だったしなあ。困ったよ。

2002年5月16日木曜日

ボート漕ぎの青年の話

 今朝もチベタンブレッド。食いながらカンチャくんに今日こそはネパール映画に行くかと確認すると、今日は宿が自分一人だけになって大変忙しいので行けないとのこと。食事してるとその言葉を裏付けるかのようにおめかしした奥さんが現れる。どこへ行くのかと問うとちょっと考えて(奥さんは英語が苦手らしい)フォークソングとのこと。ネパールの伝統音楽コンサートに家族で行くようである。俺も飯食い終わってから外へ。しかし今日の予定は映画と思ってたためか特にあてもなくどうしようかなあと歩いてると、そういえば今回湖をまともに眺めてなかったということに気付いたのでダムサイド側ではあるが湖の公園へ。すると地元の若者が日本語で話しかけてくる。しばらく会話してるとボート漕いで金稼いでるということが判明。本業はトレッキングガイドだけどオフシーズンなので、とのこと。が、ボート強要する感じが全くなかったので乗ることにする(強要されたりしつこいと確実に断ってしまいます)。1時間180ルピー。自分で漕げば100だが人任せの方が楽です。ボートに乗っている最中、彼が以前日本にいてネパール語の先生をやってた話とかトレッキングのときの話とかをひたすら聞き続ける。そのため一応ペワ湖の南側をゆっくり移動してたんだけどあんまり風景は見てませんでした。ちなみにいろいろ話を聞いたことからわかったことなのだが、どうやら彼はフェラチオされるのは嫌いだということである。あと、ネパールのジキジキは先日某人物に1000ルピーであると聞かされていたのだが、彼によれば5000ルピーくらいが相場とのこと。どっちでもいいんだけどね。その他、日本人がキノコを食べたいというので一緒につきあってほんのちょっとだけ食べたら一日中ききっぱなしで恐くてもうやりたくないという話。酒の方がいいよと言っていた。あと聞いた嫌な話としては、外国人ツーリストの中には山の子供たちにはした金を握らせて性奴隷にしてる連中もいるらしい。もちろんその中には日本人もいるらしい。大変嫌な話だと思う。
 ボートを降りてからマウント富士MOMOで生姜焼き定食。子猫は相変わらずよちよちしてやはり心配だが、みてたら親猫らしいのが様子見に来てたので多分大丈夫だろうと思う。二匹の子猫は互いに離れてるとにゃーにゃー鳴いてるが近づけると落ちつく。食後ぶらぶらとレイクサイド方面へ。今日は気のせいかいつも以上にツーリストの姿が少ない。途中のレストランで読書でもしようと入ってスプライトとバニラシェイク。飲み終えた頃に一人の日本人が現れ会話。店を出て別れて歩き出すと土砂降りに。雨宿りしつつ雨の中をダムサイド方面へ。かなりまたふりがひどくなったところでマウント富士MOMOに避難。身動きとれないのでスプライトとフライドポテト。子猫たちの様子も見ながら食べる。一匹の動きが弱々しくなりつつあるみたいでちょっと心配。雨が止んだのでマウント富士MOMOを出てネット。宿に戻って荷物を置いて、夕食のためにアニールモモへ。なんだか食ってばかりいるような日記である。こうして日が暮れて宿に戻ってシャワー浴びて読書。蔵前仁一『旅で眠りたい』(新潮文庫)読了。元上司の本で語りづらいので感想書きません。でも面白いですよ。再読だし。つまらんかったら再読しないもの。

2002年5月15日水曜日

ポカラ日本語文化センター

gen1971gen2002-05-14 
 朝6時に起き、6時半過ぎに宿主ゴータマさんと彼の奥さんの弟と3人で、雨の中タクシーでポカラ日本語文化センターへ。ゴータマさんらが受けている日本語授業にゲスト参加。かなり内容の難しい授業である。例えば他動詞を自動詞に直させたりとか(例:消す→消える)、イラストを見せてそれぞれ他動詞自動詞の2パターンの状況を言葉にさせるとか。漢字も学習してたりするし、しかも先生は全て日本語で授業を進める。他にも決まった回答のない質問をしてみたりとか、例えば「?さんは日本語を勉強してどうするつもりですか」とか。これは「つもり」という言葉のニュアンスを掴むためのものだと思うのだが、しかしもしかしたらかなりプライベートな部分を聞いてるものでもあり、これは結構別の意味で難しいと思う。クラスの人数も少なく(俺を除いて6人)、そのためか落ちこぼれちゃってる人がいたんだがやたらと目立ってしまう。ちなみに奥さんの弟さんはワンランク下のクラスで別でした。で、とにかく先生はもうよっぽどのことがないとネパール語で説明しないのね。ただ、やはり日本語及び日本の事情についてわかんないところもあって、たまに俺に質問してくる。かといって俺もきちんと説明できないことだったりもするので(大学院の修士・博士課程はそれぞれ何年間あるのかとか)答えられなかったりもする。すいません。しかしほんと、他動詞自動詞言い換えとか、日本語って英語以上に規則が各単語ごとに違うところがあるから、彼ら良く勉強してるなあと感心します。しかもみんなそんなに何年もやってるわけじゃないのよね。こっちの人の語学力には恐れ入る。まあ俺が語学が苦手なだけかもしれず、他の日本人のみなさんもこれくらいできるのかもしれないが。9時頃までお勉強してから宿へ。

 今日もチベタンブレッド。それからカンチャくんと映画の予定だったのだが、雨のために中止。どうやらちょっと彼は勝手に俺が映画代払ってくれるのを期待していたらしいのでそれは駄目と釘をさす。やはり甘い見通しだったと反省して抗議してこなかったので、後で俺のおごりだと約束してあげる。いい人だね僕って。自分でいうと格が下がります。
 昼頃まで読書して、本日もマウント富士MOMOレストランへ。昨日いた子猫は今日はいねえなあと思ってたらまたどこからともなく現れにゃーにゃーと鳴く。今日はあんまり相手しないようにしようと思ってたのだが、近所の子供が尻尾もってぶらぶらさせたりして乱暴に扱ってるのでついつい監視。近所の大人も様子を見出したので席につくが、どうも目に見えてる子猫とは別の位置からも子猫の鳴き声が聞こえる。どういうことかと思って外に出るとなんと子猫がもう一匹。しかもどうやらほぼ一緒に生まれたと思われる子猫。ああもう! で、食事してから小皿に水をやったりするが子猫はそれには目もくれない。しかし一匹よりは二匹の方が心強かろうと二匹を近づけたところ、互いの存在に気付いてじゃれあい始める。昨日に比べて衰弱したという印象はなかったので、後は近所の人たちがなんとかうまく面倒みてくれることを期待して宿へ。
 その後、昨日切れたカメラの肩ひもをしばったらうまく担げるようになったのでカメラ持って外へ。自転車を借りてレイクサイド方面へ向かう。なるべく行ったことのない道を進もうとずんずん行くといきなり肩ひものしばってたところがほどけてカメラ転落して地面に激突。拾うとカメラにひびが! 参った。残りのフィルム枚数が少なかったので適当に撮影して、とりあえず肩に担げないため片手に持って自転車片手運転で宿へ戻る。フィルムを抜くと感光には影響ないようだったが、しかしちとショック。96年だか97年から使っていたのである。帰国したら修理に出すべきか。それとも一眼レフはしばらくやめてちょっといいコンパクトカメラ(やっぱりバカチョンカメラて言い方はいけないの?)にすべきか。実際の話、俺は構図的には明らかにコンパクトカメラを使ってた時の方が面白いものを撮れていた自信があるのである。うーん。しかし一眼レフの機能も捨てがたいし。あんまり機能を有効に使ってないけど。一眼レフでコンパクトの時のようないい構図ができればいいんだが、どうも一眼レフにしてから対象全体を入れる大味な、なんだか記録用っぽいのばっかりになってるのよね。いまいち対象に近寄った大胆なのにならんというか。日本でも普段から持ち歩いてみるべきなのだろうか。これを修理して。そんなことを考えながらまた自転車で外へ出るが、しかし特に目的の場所があるわけではなく、何より疲れた。さっさと自転車を返し、ジャーマンベーカリーへ。チーズケーキとスプライト。
 宿に戻って屋上で読書。宮嶋茂樹『不肖・宮嶋 死んでもカメラを離しません』(祥伝社黄金文庫)読了。今日のタイミングと何かリンクしてないだろうか。面白いね。でも具体的なことは忘れました(旅行中の日記に感想書いてなかったし)。夜7時頃になったのでアニールモモへ数日ぶりに行きかつ丼。『マスターキートン』のおいてある分を読む。初めてまともにこの漫画を読んだけど面白いですね。手軽に読める冒険小説といった感じ。漫画だけどネタ的に。相当にアイデアをいただいたものもあるんだろうが。8時過ぎに宿に戻ってシャワー。寝る。

2002年5月14日火曜日

TUM SE ACHCHA KAUN HAI

gen1971gen2002-05-13 
 本日も朝は宿でチベタンブレックファースト。それからプリティビーチョークの先にあるという映画館へインド映画観に向かう。しかし行けども行けども映画館は現れず不安になりそこらのおねえちゃんに聞くとインディアシネマはこの先だといわれる。まだ途中だったのね。で、そのとおり進むと何やらゲートの上にぼろぼろになったインド映画のポスターが貼ってあるのを発見。その奥に映画館があった。ネパール映画は明日カンチャくんと観に行く約束になってたので映画館の前に立ってるおっさんにこれはインド映画かと一応確認。チケット40ルピーを一枚買って中へ。上映作品は『TUM SE ACHCHA KAUN HAI』。場内ロビーはインドの映画館に比べて狭い。さらにインドに比べて空いてる印象。この前のバラナシの映画館もインドにしてはやけに空いてたけどね。ロビーでは上映開始を待つ客の他に犬が歩いている。スプライトを買おうとカウンターに陳列されてるのを指さしたら売店のおばちゃんは冷蔵庫からミネラルウォーターを出してくる。違う違うこれこれとまたスプライトをさすとOKと今度はコーラ。また違うとやっとスプライトを出してもらって上階へ。2階は映写室で3階が客席の上部。旧文芸坐のような作り。もっと狭いけど。で、その上階のロビーが妙にうんこ臭い。と思ったらトイレがあった。しかしだからといってにおいがもれるのはどうか。くさいので場内へ。全くライトがついておらず足場が見えず転んだりしそうでちと恐い。すり足でなんとか客席へ。目が慣れてくる。それから数分後、正午になったあたりでようやく場内にライト点灯。音楽も流れる。するとすぐに上映開始。しかし先ほどから流れる音楽は止まない。映画のBGMでもない。するといきなり音楽が止まって映画の音声に切り替わる。いよいよ上映がきちんと開始。バラナシの映画館よりもしっかりと場内が暗くなり、今まで入ったインドのどの映画館よりも映写機の光量が強く映像かなりくっきり。ここはネパールだけど。
 
 映画はいきなり砂漠でのミュージカルシーンから始まる。そしてやけにシーク教徒が出てくる。これはラージャスターンでの話か? と思ったらそのとおりジャイサルメールでした。7年前の初めてのインド旅行で行ったきりであるがそのうちまた行きたいなあ。で、そのジャイサルメールでツアーバス運転手をやってる青年と、ツアーの添乗員でやってきたと思しき(言葉わかんないからあくまで推測です)ものすげえ美人さんが、この手のインド映画ではありがちな、初めはまずちょっといがみあいながら、ふと青年が奏でた歌がきっかけで打ち解けていくという展開。そしてこの青年、今はバス運転手をやってはいるが、実はミュージックスターになりたい。で、それはおいといて、彼と彼女はちょっといい感じになりそうだったのだが、彼が住むのはジャイサルメール。彼女はよそから来た、別に帰るところのある人。別れ。ある晩彼(名前はアージュン)は自分がスターになってる夢を見る。そして深夜に目覚め、今の自分はもうスターへの道は歩いていないと気付き泣きながらギターを火にくべる。が、父がすかさず炎の中からギターを取り上げ、息子の夢をかなえるべきであると考え、息子の都会(ボンベイ?)行きを許諾。アージュンはついに都会へ(ジャイサルメールもそれなりの都会ではないのかというのは無視)。そこでばったり添乗員の彼女と再会。あれよあれよという間に彼女一家のところに居候することに。そして音楽活動のため毎日いろんなスタジオをまわるが相手にされない。途中ディスコ(ほんとにディスコとしかいいようのない場所)で不良(ほんとに不良としかいいようのない人)にからまれるヒロインの妹を助けたりして大活躍。居候先のヒロイン一家での人気も大幅アップ。ちなみにこのディスコの格闘シーンで彼のケリが最初に炸裂した瞬間、映画館内では拍手喝采。しかしいくらスタジオ巡りをしてもさっぱり駄目。門前払いされた彼はストリートパフォーマンスを行うことに。その準備中とおりかかったヒロインほどではない程度のいい女に何やら馬鹿にされるが、いざパフォーマンスをはじめると大盛況。さっきのいい女も戻ってきて絶賛。そして運のいいことに、なんと彼女は業界にコネのある大金持ちの娘だった! 彼女のおかげでアージュンはついにプロデビュー。大人気となる。やがていい女はアージュンのことが気にかかるように。だがアージュン自身がほの字だったのはやはりヒロイン。それに気付いたいい女は銃を持ち出しアージュンに向ける。すんでの所でかわし、アージュンは彼女を改心させる。と思ったら、振り向くとすでに彼女はいず、山道を自動車で暴走。そのまま谷底へ転落していった。時は経ちそれから一年後。インドのミュージックアワードでグランプリを手にしているアージュン。受賞の場で感謝の意を表す彼、その姿はテレビでも中継されており、車椅子に座って虚ろな目をしたいい女がじっとみつめていた。ジ・エンド。と、物語の力点がラスト近くからちと違う方向へ移動してしまう映画ではあるが、しかし歌あり踊りあり(インド映画なら当たり前だが)、しかも豪華だし(これもインド映画なら当たり前か)、そうでないドラマ部分でも演出が洗練されており(これは結構珍しいと思う)、例えば『ムトゥ』のようなミュージカル以外はただ撮ってるだけといったようなことは全くないのであった。少なくとも俺はバラナシでみた『16 December』よりずっと面白かった。しかし上映環境に難ありで、観てる最中ガキが数名場内を歩き回って喋ってたりしてうるさいのね。しかも実は彼らは客ではなく、休憩時間には売り子に変身するのである。つまりこの映画館の従業員なのである。そいつらが上映中にうるさいんだから困ったもんだ。

 映画館を出てダムサイド方面へ。その途中カメラの肩ひもが切れ、カメラが地面に激突。傷はつくが壊れはしなかった。まあ長年酷使してるからな。ひもが切れてもおかしくありません。で、マウント富士MOMOレストランで唐揚げ定食を注文。この店も例年はオフシーズンでも日に20人くらいは客がいたというが、今年はやはり情勢が悪いせいで日に2?3人来ればいい方だという。ところでこのレストランの前で、生後1?2日程度の猫がにゃーにゃー鳴いていた。母猫は昨日この辺りを歩いていたというが今はいない。ほっとくと死にそうなのでなんとかしたいとついつい手を出してしまい水を与えたりしたのだが、子猫が全然落ち着かない。そうこうするうちに飯が出てきたので猫を隣の空き地に置いて飯。しばらくすると鳴き声が聞こえなくなり、みると姿もない。きっと何とかなるだろうと期待したいが下手に手を出したのが悪いことにならなければいいんだが。生まれたばかりのを母猫はほったらかさないで欲しいもんである。飯は米はともかくとしてそれなりにうまい。アニールモモよりも安いし。宿へ戻る。それからネット。そうこうしてるうちに夜になり、宿の通りの角にある店で肉を焼いててうまそうなのでそこで夕飯。宿に戻ってシャワー。寝る。

2002年5月13日月曜日

八月の博物館

gen1971gen2002-05-12 
 朝8時にきちんと起きてチベタンブレッドを食い、サランコットへ行く準備。トイレでうんこしながら瀬名秀明『八月の博物館』読了。SFかと思ってたら叙述トリックではないけどなんだかそういう部分を利用したファンタジーといった感じ。で、例によって今この日記をテキスト化してるのは約3カ月後の8/26で、もとになる当時の日記にはこの本の感想が書かれていないのです。面白かったしこれからどうなるのかさっぱり見当がつかないままどんどん進むしやや感傷的とはいえ物語も文章も巧いのですが、読了時の感想メモしてないんだよなあ。でもってこの本もこのとき泊まってたホテルのロビーに置いてあったものだから持ってきてないので今現在手元に現物がないのです。あ、ひとつ思い出したのだが、作者の分身といえる主人公の少年、かなりな好奇心の持ち主で、あたかもそれを当然であるかのように書かれているんだが、それなりに好奇心はなくはなかったとは思うもののそれを後まわしにして生きてきた私にはちとつらい。俺もこれくらい好奇心をすぐそのまま実行に移すように生きてくれば良かったのになあと作者が意図したところとは違うところで身につまされるのであった。あとは『バンデットQ』に似てるなあとも思った記憶がある。マリエットはあの映画のショーン・コネリーだ。
 
 で、日記内時間はこの日付に戻りまして、10時頃にサンダルを靴に履き替えてサランコットへ向かう。まずオールドバザールを抜けてサランコット登頂口までが実に遠く、つくともう11時。が、その登頂口と思ってたところは単なる展望台みたいなところで、周囲の人に聞くとどうやらここからまた違うところに出なくてはならないらしい。迷ってると周囲の人の一人がこっちだと言うので案内される側へ足を向けるとなぜかこいつが延々と俺をリードする。一般道に出てかなりわかりづらい順路でサランコット口へ。といってもこいつがそう言ってるだけで標識もなく実際のところよくわからない。ガイドブックは宿に置いてきちゃったし。後になってガイド代をくれなどと言われてもいやなので、お前はガイドか? 言っておくが俺はガイド代は払えんぞ、というと、自分はガイドではなく単なる学生だ。サランコットへ行く途中に俺の家があるから帰宅ついでだとの答え。それにしてはさっきの展望台みたいなところでいかにも俺を案内するためというタイミングで動き始めており、そういう点では実に胡散臭い。さらに俺がガイドブックの地図をみて頭に描いていた地図とどうも違うような気がして(結局これは地図どおりの道だったようではあるが)やはりこいつを信じられず、小道に入ったあたりの民家のおじさんに会う毎にこっちはサランコットか? と質問を繰り返してしまう。みんなそうだと答えるんだけど。で、そのあたりでいきなり彼の友人という奴がどこからともなくまるで狙い澄ましたかのように合流。またもう一度、俺はガイド代は払えないというが、彼らも我が家はこっちだからと言うばかり。そうこうしながら山道をどんどん進み、このあたりがぼくのうちなんだよなんて言いながらしかし自分の家を明確に示そうとはせずに一休み。3人で座りながら、しつこいようだが俺は本当に君らには一銭も払えないよと言うと(我ながらしつこいとは思うがなんとなく信用できない雰囲気があった)、我々はガイドじゃないからガイド代なんていらない、我々は学生だ、英語の辞書さえ買ってくれれば満足だなんてことを言い出しやがる。ここまで案内してから今更何を言うのか。この馬鹿どもが。ふざけんな。頭に来たので一人で行くと言って立ち上がり歩き出す。辞書が欲しいとか何か見返りが欲しいのなら初めから言えばいいのだ。その上で断られたのであれば連中だって無駄に歩かなくてもすむしこっちもむかつくこともない。前々からインドやらネパールやらはそうだが、先にこちらが頼んでもいない親切をしておいてから何か見返りを欲しがるという手口をやる連中が非常に多い。中には先に親切にされたからといって仕方なく払ってしまう人も多くいるからだろうが、このやり方は払おうが払うまいが気分は悪いだけだ。言葉の壁があるため、あとになって請求された場合に「手前が勝手に俺が頼みもしねえのに案内したくせに今になって金よこせじゃねえよ、はじめに言えよ」といった、相手のシステム的間違いを指摘しながらの文句を言えないのも立腹の要因の一つです。
 
 で、結局連中を残し一人でどんどん進んだ結果、あっという間に道に迷った。せめて獣道でもいいからあればいいのだが、それもよくわからなくなり、しかし足場になりそうな段差はあるのでとりあえず上に進む。下に降りて連中と再会なんてしたくないからね。すると上の方に民家を発見。道はないけどなんとかはい上がる。家の裏手に水牛やらの気配がしたので行くと娘さんが3人作業中。助かった。で、サランコットはこっち? とか聞いてるとお父さん登場。しかも英語を話せる。事情をカタコトだけど説明すると、まあ休めと椅子を勧め、水を汲んでくれる。もちろんミネラルウォーターではないのだがおいしくいただきました。それから道を教えてもらい途中まで案内されて、お別れしてまた山をのぼる。途中いくつも民家があるのでその場その場にいる人たちにサランコットの方向を確認してのぼっていく。すると何やら私有地のようなところに出て犬に吠えられるが、そこの住人とおぼしきおじさんがここを通りなさいと教えてくれ、さらにサランコットはこの道をまっすぐだと示してくれたところにはなんと車道がある。礼を言って車道に出て道なりに進む。しばらく行くといかにもツーリストのための食堂がいくつかあり、車道をはずれたところにサランコット行きの階段を発見。腹も減ったのでその横のレストランでジュースとインスタントラーメン。食い終えてまたのぼる。あとはもうとてもわかりやすい道。頂上近くにいくつものレストランとゲストハウスがあり、そこから数分のぼってついに山頂へ。といっても特に感動はないのだが。曇っててヒマラヤはちらっとしか見えないし。この時点で午後2時半頃。長かった。雲が動いてヒマラヤ見えるかもとしばらく待つが、3時頃になっても雲は動くけど相変わらず部分的にしか見えないので諦める。
 帰りは今来たのとは逆方向のレイクサイド方面から降りることにする。しかしこのレイクサイド方面ルートというのは一応あるんだけど、どうにも今来た道とは異なり狭くて急で危なそう。でも行く。途中車の通れそうな道と交差したりするが、しかしここは山道を降りたいのでそっちを選んでどんどん降りる。のぼりの時もそうだったのだが、途中現地の子供たち、というかガキと数回すれ違うのだが、こいつらったら外国人を見るとすぐに「キャンディー?」とか「1ルピー?」とか言ってくる。単に「ナマステー」「バイバイ」とか言ってりゃかわいいものを、どうも外国人は何かくれるものであると思ってるらしい。下りルートは上りよりさらにそれがひどく、ガキ3人がかけよってきて俺の手を握りかわいぶったあげく「キャンディー?」「ルピー?」「フォト?」だのしつこいったりゃありゃしねえ。手をふりほどいてさっさと歩いてくと石を投げてきやがる。届かないんだけど、でもこの投石が原因で遭難した旅行者もいるのではないか。まったくむかつくガキどもである。こんなガキどもを純朴な、我々が失った目の輝きを持つ子供たちなんていう反吐の出そうなことを言ったり書いたりした連中はどうにかなってしまえ。が、しかしこういうことをガキがするってことは、過去にキャンディーを与えたり金を与えたり写真撮ってそのお駄賃をあげたりした連中が結構いるってことだ。そのためにこのガキ連中は極めて素朴に外国人はお菓子とお金をくれるもんだと思いこんで素朴にそれをねだってるだけなのかもしれん。我々が失ったギラギラと欲望に輝く瞳を持ってな。この他にもガキがやたらとガイドを申し出たりとかありました。これだからガキって嫌い。念のために書いておくけどネパールの子供が嫌いなんじゃなくて、人間の子供ってものが嫌いだからね、その辺勘違いして抗議しないでください。
 で、そうしながらも歩いていく途中でジュース売ってるところがあったので飲む。観光地料金で25ルピー。細かいのが6ルピーしかなく、500ルピー札を渡す。すると店のお姉ちゃんは当然釣り銭がなく、下の方まで両替に行くことに。大変申し訳ない。20分ほど待ってるとお姉ちゃんが汗だくになりながら帰ってくる。がしかし、金額がでかかったため釣り銭が完全には集まらず、あと30ルピー足りないと困った顏。そこでじゃあコーラもう1本くれ、それを君にプレゼントだなどと日本人相手に日本語だったら恥ずかしくて言えないようなことを言って去る。しかしお姉ちゃんはコーラを飲もうとはしてなかったようで、きっとその30ルピーぼろもうけだと思うがまあいいや。うるせえガキどもに1ルピーあげるよりずっといいです。
 でもって降りてくと道はあるのにそれをさえぎる柵がある。しかし道は他にはないので柵を越えて降りていくと、どうも柵から先はやたらと落ち葉とかにまみれておりここんとこほとんど誰も歩いてないに違いないといった雰囲気。そして周囲は林に囲まれ薄暗く、人の気配がまったくなし。そんな中を延々一人で降りていく途中、がさごそと誰かの足音が聞こえ、人がいるのかと思ったら牛でした。柵でとおせんぼしてある道だったのでこの先どうなるのかわからないところをひたすら降りるが、まあこういう状況でどうにもならなかったことは今までないので気楽に構えて降りていくと林が開け、やがて民家も見えてくる。そこで庭仕事してるおばちゃんもいたのでレイクサイドはこっちかと確認。どんどこ降りてようやく先日自転車で走ったあたりに出る。この時点で4時半?5時頃。明るいうちで良かった。
 そっから延々とレイクサイドを通ってダムサイドへ。しかし今日のレイクサイドはここ数日中でも最も人気が少ないです。どうしたのかしら。小腹が減ったので夕飯にはまだ早かったがジャーマンベーカリーでチーズケーキとスプライト。一休みしてホテルに戻る。6時半頃着。随分歩いた。夜、食事に外へ。サランコットからの帰りにレイクサイドを通ったためか妙に西洋料理が食べたくなり、近くのやや高そうなバンブーガーデンへ。すると若い日本人女性がいたので挨拶して一緒に食事。彼女は8カ月ほど旅行していてあと1カ月くらいで帰国らしい。ちなみにこの人はホテルひまりに宿泊、バラナシではクミコハウスにいたということ。久美子さん一家は地元のマフィアにショバ代を払っていないため気楽に外を出歩けないとか地元民にもマフィアからの脅しがかかててるためにリキシャなんかも直にクミコハウスへ運んでくれないというような話を聞く。9時頃まで喋って戻り、本日の山歩きで生じた首筋の日焼けの痛みを我慢しつつ寝る。

2002年5月12日日曜日

パタレチャンゴとタシリン・チベット村

 ポカラに来てからどういうわけか夜は9?10時頃には眠くなり寝てしまうのだが、なぜか深夜とか朝方に目が覚めてその後数時間眠いのに眠れない状態が続く。でもってもう起きてもいいような時間に眠りにつき、結構遅い午前に目覚めるというリズム。今朝もそうで、なんと午前3時に目が覚めて以後しばらく眠れない。しかし朝7時頃にまた眠り目覚めると9時だか10時だか。実質的にそれなりの睡眠時間はとれてるのだが、間にロスタイムが入ってしかも頭はぼーっとしてるのでなんか無駄である。まあ旅行中だからいいんだけど(←実は帰国後の方がもっとひどいロスタイムだらけの生活になるのをこの時点ではわかっていない。というか旅行中って帰国したらあれもやろうこれもやろう毎日規則正しく忙しいなあとか計画だけは立てているものである)。で、10時頃に起きて宿のレストランでチベタンブレッドとレモンティ。
 サランコットに行こうと思ってたのだがカンチャくんがサランコットは朝がいいよなんていうからとりやめ。パタレチャンゴへ。そんなに遠くはないのだがいきなり街をはずれる感じでそのための土産物屋以外周囲はほとんど何もない。パタレチャンゴもDavi's Fallという別名を知らないと、その土地の土産物屋に埋もれていてわかりづらい。でもなんとか辿りつき、入場料10ルピー払って入る。滝。Davi's Fallって名前は60年代にデヴィという人が落ちて亡くなった(多分亡くなったということだったと思う。記憶違いかもしれないのでこの情報を孫引きしたりしないように。自意識過剰かしら)からこう呼ばれるようになったということで随分不謹慎ではある。某アイドルが飛び降り自殺したビルをユキコビルディングと名付けるようなもんではないか。周囲のパタレチャンゴとは全く無関係なものばかり売ってるチベタンの土産物屋をひやかす。仏教グッズのみならずやたらとアンモナイトの化石があったりアフリカの像があったりとかなり滅茶苦茶な品揃えであった。
 それからその先にあるタシリン・チベット村へ。平日昼間であるせいか、おばちゃんとガキとじいさんばっかり。平和そう。もろにチベット人の村である。当たり前です。かなり小さく、一通り見て帰ろうとすると二人のおばちゃんに呼び止められる。土産物なら買わないよと言うとどうもそうではないらしい。そこで話を聞くと、彼女らは5ドルと250円を持っており、しかし自分たちはパスポートがないので外貨の両替ができないから俺にルピーと替えてくれないかという。本来のレートよりこっちに都合のいいレートで言ってくるのでその場で計算して両替。そしたら250円の方のおばちゃんがうちに来いと言う。どうせ土産物を売りつけられるんだろうと思いつつもここで生活してる人の部屋を見てみたいというのもあったのでついてくと、案の定鞄から土産物をいろいろ次々と出してくる。買わないよといいつつ、結局ちょっと買ってしまう。ついでにお茶をいただく。もちろん睡眠薬を警戒してしまうのだが、ほんのちょっと飲んでも味もおかしくなかったからそのまま飲みました。問題なし。疑ってごめん。室内にはダライラマの写真が飾られていました。家を出て帰ろうとすると5ドルのおばちゃんが話しかけてきて土産物を見ていけとうるさい。もう買ったからもういいよと去る。他のおばちゃん連中も買っていけ買っていけとうるさい。よほど今客がいないことが堪えてるのかいつもこんななのか。
 村を離れて近くの子供の山羊がはね回ってる観光客向けの店でジュース飲んで宿方面へ。途中でダムの吊り橋方面へ。ダム下の川になってるところで洗濯してる人々と、岩のかなり高いところから飛び込む子供たちがいっぱい。吊り橋を無理矢理渡らされている水牛も数頭。
 宿へ戻り昼食タイムだったのでアニールモモへ。唐揚げ定食食べながら『柔道部物語』読了。小林まことの作品てのは作品内できちんと完結した世界観を持ってるためか、非常に職人的な感じもし、楽屋落ちなんかが一切なくて作者側が本気か冗談がわからないというのが特徴ではないかと思いますがどうでしょう(作者らしき人物がよくギャグとして出てくるがこれも鳥山明とかが出てきて作者側の言い分というかそういうのが表現されるのとはちと異なり、どういうわけか楽屋落ちではなくなってるという印象。うまくいえなくてすまん)。あと細かいこともいろいろ思ったと思いますが、旅行中に書いていたこの日記には感想が記されておらず、現在それをWEB用にテキスト化してるのはこの時点から3カ月以上あとの8月25日なので書いてられません。以後もそういうのが多数出てくると思いますが許してください。まあそもそも許す許さないという問題ではない程度のことしか書いてないが。
 宿へ戻って屋上で読書。夜になり、先日カーストについて離したレストランでチキンチョウメン。途中で停電。カーストの話をしたお隣さんがまた現れて会話。彼の兄はホテルひまりのオーナーだそうで、そちらには日本人の女の子も泊まっているという。なんと! でもめんどくさいから宿をかえたりしません。かえたあとでゴータマさんたちに会ったら気まずいし。その他彼から得た情報としては、現在とにかく観光客が少ないので客の少ないレストランは食材が回転しておらず、そのため下手に入ると古い食材を使った料理を出される可能性があるので空いてる店は気を付けろとのこと。他にも何かあったが思い出せず。というか実は後日思い出して日記には書いてるのだが、それをテキスト化してる今その部分がみつからないのでそれは書かれてる日のところで書きます。多分書いてたはず。で、本日は宿に戻っておしまい。